金融緩和の終着点が近いことを静かに示すオーストラリアのいま
2026/03/30 08時30分公開
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高城未来研究所【Future Report】Vol.771(2026年3月27日)近況
今週は、パースにいます。
世界経済の「炭鉱のカナリア」と言われるオーストラリアでは、現在、再びインフレの嵐が吹き荒れています。
まず、住居です。オーストラリアの中では比較的安いと言われるパース市内のごく平均的な2ベッドルームのアパートメントの家賃は、週750豪ドルほどで、月に換算する日本円で32万円です。
これは「高級物件」ではありません。築二十年、特に眺望もない普通の部屋の話で、しかもこの金額は、わずか二年前の1.5倍近くまで跳ね上がっています。
食事に出かけると、さらに衝撃を受けます。市内の特に高級でもないカフェで、コーヒー(ロングブラック)とグルテンフリートーストを頼むと、38豪ドル。コーヒーとトースト一枚で約3800円です。
だからといって景気が良いわけではありません。つまりインフレというより完全なスタグフレーションといえます。都心部テナントも空室が目立ちます。
こうした中、先週3月17日火曜日にオーストラリア準備銀行(RBA)が緊急対策として政策金利を0.25パーセント引き上げ、4.1パーセントとしました。
二月の利上げに続く二カ月連続の引き上げとなり、ミシェル・ブロックRBA総裁は「インフレ率は高すぎだ。需要が供給を上回っているのが問題だ」と記者会見で述べています。
ここで注目すべきは、先週は米連邦準備制度理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(BOE)、日本銀行(BOJ)という世界の主要四中央銀行がすべて同じ週に会合を開いているという事実です。
そして、利上げに踏み切ったのは「炭鉱のカナリア」と言われるオーストラリアのみ。世界の主要中央銀行がイラン戦争による原油高の影響を見極めようと慎重に構える中、オーストラリアだけが単独で金利を引き上げました。
いったい、なぜでしょうか。
答えは、明快です。オーストラリアのインフレが、もはや手に負えなくなりつつあるからです。
一月の消費者物価指数は前年比3.8パーセントまで高まり、RBAの目標レンジである2〜3パーセントを大幅に上回っています。
そこに、2月末に始まったイラン攻撃がホルムズ海峡の原油輸送を寸断し、原油価格が1バレル100ドルを突破するという事態が重なりました。
ガソリン価格は急騰し、それが輸送コストを通じてあらゆる物価に波及しつつあります。
恐ろしいのは、これがまだ序章に過ぎないということです。
オーストラリアの四大銀行であるコモンウェルス銀行、ウエストパック、ANZ、NABはすべて、5月にさらに0.25パーセントの追加利上げがあると予測しています。
実現すれば政策金利は4.35パーセントとなり、2025年に行われた三回の利下げが完全に帳消しになってしまいます。
パンデミック時の金融緩和の出口戦略はもはや意味がなく、RBAは2025年に三回利下げして束の間の安堵を国民に与えておきながら、2026年に入ったとたんに連続利上げに転じたわけです。
この金利引き上げが住宅ローンを抱える一般家庭にどれほどの打撃を与えるか、数字でみてみましょう。
平均的な70万豪ドル(約7000万円)の住宅ローンを組んでいる家庭の場合、2月と3月の二回の利上げだけで月々の返済額が約225豪ドル、年間で約2700豪ドル増加します。
日本円にして年間約27万円の負担増です。
5月にさらに利上げされれば、年初からの負担増は年間4000豪ドルを超えます。
毎月4万円近く、追加で支払う覚悟をしなければなりません。もし住宅投資で利回りを考えていたら、ほぼ赤字になると考えて間違いありません。
一般的にオーストラリアでは変動金利の住宅ローンが主流で、つまり、RBAが金利を上げれば、それがほぼダイレクトに翌月の返済額に跳ね返ってくるのです。
では、なぜオーストラリアはこれほどまでに追い詰められたのでしょうか。理由は複合的ですが、根幹にあるのは三つの構造的な問題です。
第一に、資源ブームの功罪です。オーストラリアは世界最大級の鉄鉱石、石炭、天然ガスの輸出国であり、特にパースのある西オーストラリア州がその中核を担っています。
過去15年近くにわたる中国の爆発的な経済成長に伴い、莫大な資源マネーが流入し、鉱山労働者の年収が20万豪ドルを超えることも珍しくない時代が続きました。
この高賃金がサービス業全体の賃金水準を引き上げ、カフェの店員が時給35豪ドル以上もらえる国では、コーヒー一杯が8豪ドル超になるのは必然です。
これは経済学でいう「オランダ病」で、天然資源の輸出で通貨が高騰し、製造業が衰退する症状に、この国は数十年かけて蝕まれてきました。
オランダ病とは、天然資源(石油・天然ガス・鉱物など)の大規模発見や輸出ブームが、かえって経済全体を弱体化させてしまう現象を指す経済学の用語です。
別名で「オランダの罠」とも呼ばれますが、なぜ「オランダ病」という名前がついたのか。
それは1959年にオランダで巨大な天然ガス田(フローニンゲンガス田)が発見され、1960年代以降に天然ガスの輸出が急増しました。
これにより外貨が大量に流入し、オランダの通貨(ギルダー)が急激に高騰しました。
同じくオーストラリアも資源以外の産業が育たず、あらゆるものを輸入に頼る構造が固定化され、そこにイラン戦争による原油高という外的ショックが突然加わったとき、もはやなす術がありません。この「罠」にハマったのです。
第二に、移民政策の急転換です。
コロナ禍で国境を閉鎖した反動で、2023年度の純移民数は50万人を超え、過去最高を記録しました。人口2600万人の国に年間50万人が流入するインパクトを想像してみてください。
日本に置き換えれば、毎年約250万人の移民が入ってくる計算です。労働力不足は補えても、住宅建設はまったく追いつきません。
空室率は1パーセントを切り、物件の内見に30組以上が殺到するのが日常です。需要だけが爆発的に増え、供給が追いつかない。
最もシンプルかつ最も解決困難なインフレ圧力が、住宅市場を支配しています。
第三に、そしてこれが最も根深い問題と思われる、RBA自身の政策判断の迷走です。
コロナ禍で超低金利を敷いて不動産市場を過熱させ、インフレ退治で急速な利上げに転じ、2025年に三回の利下げで「出口」を演出したかと思えば、2026年に入って再び連続利上げ。
この振り子のような政策転換が、家計の将来設計を根本から揺さぶっています。このような状況では、中長期的な計画が立てられません。
しかも、今回の利上げの背景にあるイラン戦争という変数は、RBAにはまったくコントロールできません。
ブロック総裁は「中東の出来事は、この地政学的に不確実な世界では状況が急変しうることの警告だ」と語りましたが、これは裏を返せば「我々にはどうしようもない」という告白に等しい。原油価格がさらに上がれば、インフレはさらに加速し、さらなる利上げを余儀なくされる。
利上げすれば景気は冷え込み、住宅ローン破綻が増え、消費が萎縮する。しかし利上げしなければ、インフレが手に負えなくなるという、まさに袋小路なのです。
RBAの予測では、インフレ率がターゲットの中間点に戻るのは2028年半ばとされ、少なくともあと二年以上、この高金利と高インフレが続く見込みです。
APRA(健全性規制庁)のデータでは、ほとんど余裕のない高リスクローンが昨年末の四半期だけで33億豪ドルから54億豪ドルに急増しています。
実際、パースの中心街を歩くと、空きテナントが目立ちます。
家賃の高騰に耐えられなくなった小規模店舗が次々と撤退し、飲食店のオーナーに話を聞くと、人件費と食材費の上昇で利益率が限りなくゼロに近づいているという声が複数あり、今回訪れる予定だったカフェも海外投資家に売却されていました。
客単価を上げれば客が来なくなり、据え置けば赤字になる。その板挟みの中で、静かに店を畳む人が増えています。
そして、この状況は現段階では、世界の中でオーストラリアだけが突出して悪化しているという点が重要です。
FRBは利下げ基調を維持し、ECBも据え置き、BOEも様子見。先進国の中でオーストラリアだけが逆方向に走っています。
かつて「ラッキーカントリー」と呼ばれ、資源の恩恵で三十年以上リセッションを回避してきたこの国が、いまや先進国で最も生活コストが高く、どこよりも金利が高い国になりつつあるのです。
地球上で最も孤立した大都市と呼ばれるパース。東にはナラボー平原の荒野が延々と続き、最も近い大都市アデレードまで2700キロ。
この地理的な孤立は、そのまま経済的な脆弱性でもあります。すべてのものが遠くから運ばれてくる。その供給線が細くなったとき、この美しい街に何が起きるのか。
世界の主要中央銀行が慎重に立ち止まる中、オーストラリアだけが孤独に金利を上げ続けているこの光景は、金融緩和の終着点が近いことを、僕らに静かに示しているように思えてなりません。
(これはメルマガ『高城未来研究所「Future Report」Vol.771』の冒頭部分です)
高城未来研究所「Future Report」
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。
高城剛 プロフィール
1964年葛飾柴又生まれ。日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオビエンナーレ」グランプリ受賞後、メディアを超えて横断的に活動。 著書に『ヤバいぜっ! デジタル日本』(集英社)、『「ひきこもり国家」日本』(宝島社)、『オーガニック革命』(集英社)、『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)などがある。 自身も数多くのメディアに登場し、NTT、パナソニック、プレイステーション、ヴァージン・アトランティックなどの広告に出演。 総務省情報通信審議会専門委員など公職歴任。 2008年より、拠点を欧州へ移し活動。 現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。ファッションTVシニア・クリエイティブ・ディレクターも務めている。 最新刊は『時代を生きる力』(マガジンハウス)を発売。
高城未来研究所「Future Report」編集部