恐怖心・雑感
0-
0
※筆者プロフィールはTwitterに。Twitterでは長文になりそうなお話を筆記中。
ゾン100を見て。
ゾンビで思ったけれども。
(アニメの内容と関係ないです)
主に男性が、背後にある腕力や暴力(相手に苦痛や死を与えうるという仄めかし。まあ性別にかかわらず与えうるが)をチラつかせて恫喝するのって、脅している本人こそが「暴力と苦痛と死を恐れている」からやることではないかと思う。
「自分が恐れているから相手も恐れるはず」という前提。
例えば「一見、女性や子供のような弱者に見えるが、暴力も痛みも死も恐れない人間」がいたとすると、「痛い目にあうぞ」という恫喝は「だから何」でしかない。
苦痛はあるかもしれないがそれを恐れない人間、身体が損壊しても、それについて怯えない、死に対して怯まない人間がいたら、暴力を笠に着る脅しは通用しない。
ゾンビがそれであって。
ただ噛みつこうとする以外に意思がわからず、怖がっている気配もなく、腕をちぎられようと刺されようと様子が変わらず、ただこちらに来ようとする。
その前では「自分の腕力をネタに恐怖を知らしめて相手を脅そうとする」ことは何の効果もない。
「女・子供=(男よりも)弱い、怖がり、戦闘力がない、苦痛は嫌に決まっている」
みたいな適当な式と、弱者認定された多くの人達が幼少から投げかけられる常套句は呪いでしかない。
自分の体を強張らせ呪いで縛り付けることはない。
「自分より腕力がありそうな相手は怖がらなければならない。服従するしかない」
本当に?
その前提は万人に当てはまる?
実際にそんな目にあったトラウマがある人もいるだろうが、映画等のフィクションを見た、そう教わった、そうに違いない、というだけで、何も経験のない人も少なくないはず。
(逆にあったらあったで、それを恐怖体験とするか教訓とするかは人によるはず)
何もせずに思い込みに居続け、むやみやたらに怯える必要もないだろうと思う。
何事もやり方。方策。戦略。
”怖がる”と”用心する””警戒する”は異なる。
「正しく怖がらなければ防犯にならない」
という言説も確かであるとは思う。
とはいえ無駄に怯え萎縮した状態は確実に冷静さを奪い、パフォーマンスを下げる。
物理的に”フィジカルが弱いとされる存在”である自覚があればこそ、その力を最大化するのに良い方法を知っていた方がいい。
誰かを守りたいという〇〇のプライドを傷つける?
そんなことで傷つくような脆弱な人間に守ってもらう必要ありますか。
自身が強くなろうと・あろうとすることにストップをかける人間など放っておけばいい。
そんな人に用はないし、かまける時間もないでしょう。
まあそんな「その前提は本当?」といったことを思うに至りました。
正しく恐れるのは大事だが、「恐れてもいないことを恐れているフリ」したり「怖がらせられることにむやみに乗る」ことをせんでもいいのでは、と。