養老孟司先生との対談「僕はいまだに東大を卒業させてもらえないんだ」(ニホンという病)

2023/06/07 20時14分公開 / 2023/06/15 16時15分更新

解剖学者の養老孟司先生との共著が5月29日発売となりました。

『ニホンという病』養老孟司、名越康文

今回から第一章の一部を公開させていただきます。

ご関心を持っていただいた方は、ぜひ本書もご覧いただければ幸いです。

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第1章

養老孟司、名越康文両氏の対談の1回目は、2022年1月21日世界一の本の街である東京・神田の出版クラブで行われた。

この日の東京は、1日の最低気温が氷点下という厳しい寒さに見舞われていた。コロナ禍が続き、オミクロン株による感染者が激増し、「まん延防止等重点措置」下にあった。


■東大前刺傷事件と「理Ⅲ信仰」


――コロナ禍が3年目に入り、全国36都道府県にまん延防止等重点措置が適用される中、(※2022年1月21日時点)東大前での17歳少年による刺傷事件など、自分自身で解決できず他人を巻き込む事件が相次いだ。背景には何があるのか。

名越 事件後、いろんな人に「先生、取材が殺到して大変でしょ」と言われるんですよ。

ところが、最近は一切ないんですね。かつては異常な事件があると、精神科医に話を聞くということが当たり前でしたが、それがなくなってきている。なんか、地続き感というか、日常的な感じになってきていますね。

ですから、以前はそういう事件があると、電話がかかって来て、また難しいこと考えないといけないのかと気がめいったものですが、この3、4年は全く当事者感がない、という感じです。 


――今回の事件ですと、東大に入って医者になるんだという少年の供述がクローズアップされています。

名越 何年か前、養老先生の言葉で今でも覚えているのがあります。

「僕はいまだに東大を卒業させてもらえないんだ」

という言葉なんですね。要するに「名誉教授という肩書が必ずついて回って、いまだに卒業しないのかな」とおっしゃっているわけです。

どうなんですかね、そういうブランド価値というのは、あるんですかね、今でも。


養老 東大前事件でいうと、「東大理Ⅲ信仰」みたいなものは、僕が現役(教授)のころから非常に気になっていましてね。要するに成績がある程度良い子は理Ⅲに行けるということで、そういう学生が入ってくるようになったんです。

変な時代になったなあと、しみじみ思っていました。医者に適性があるとかないとか、そういうの関係ないんですよ。成績が良いからと。僕なんか生き物が好きだから医学部に行っているんだけれども、そういうつながりじゃなくて医学部に入ってくる学生が増えた。

どういうことかというと、理数系が達者な子ですね、物理とか化学とか、そういうのは非常にできるんですよ。でも医学は物理、化学とは全然違ってややこしいんです。とくに解剖学なんかは。それで、気の利いた学生は解剖学をあまり評価しないんですよ。そういう子が増えちゃったんで、「こんなところでやってけねえよ」とこっちが思うようになってきた。

何か知らないけど理Ⅲというのは、特別なものだということになっている。今度の事件だと高2ぐらいからちょっとおかしくなってくるというのはごく普通にあるわけです。中学、高校ぐらいでおとなしい優等生というのは一番気を付けなきゃいけない。

僕が東大にいたころは、そういうなれの果てを引き取っていたわけですから、学生として。とにかく、変なヤツがいましたからね、いつでも。そうした傾向が随分早く出てくるようになった。僕らのころですと、入学してから問題起こしていましたが、今は入学する前に起こしているわけですからね。



名越 知識の集積を競うことで頭の良し悪しを印象付けるやり方は、AIが社会を動かそうとしている現代において、もうかなり虚しさが漂ってきている気がします。

しかしそれに代わる評価の仕方が、大学の成績や就職選抜やエンタメに至るまで、まだ見いだされていない。そもそも考えるとは何かとか、人生において意味のある発想の持ち方とは何か、ということを考え続けることで人間として自立していく、という過程が必要だと思うのですが、それは個人個人の内面に全て負託されている。

つまり未来において最も活用できるであろう能力の訓練は、ブラックボックスに入ったままで年月が過ぎ去っていると言って良いのではないかと思います。


養老 やっぱり社会のあり方ではないですかね。明治維新含めてずっと来た長い歴史を踏んでいますからね。日本語はもっと前からある。そういうもの全ての総和ですよ。

そんなこと言ったら、それこそ解決策ないじゃないかと言われそうですが、実際、ないんですよ。多分、ないから困ってるんじゃないかな。

日本人はその辺を楽天的に考えて、変えなくていいことにしようとしてきたわけです。本質にかかわるところは変えずに、表層的なところだけを変えてきた。和魂洋才が典型だと思うね。明治維新は政治で動いたからまだいいですよ。政治の世界を変えたから。戦後は何をしたかっていうと、日常生活を変えちゃったわけですよね。その典型が家族制度で、大家族から核家族になった。

今度の高校生の事件でも、お母さんは分かってたみたいですね、(東大理Ⅲを目指していた子どもの成績が)こんなことじゃ具合悪いってね。でも、家族では解決できなかったわけです。

だいたい一生懸命勉強して成績が良くなっても喜ぶことじゃないんだ。当たり前でしょう、それだけの努力をしたんだから。ほめることでも何でもない。おそらく学校を変えたら、何にも努力しないで、その子ぐらいの成績をとっている子は平気でいるはずです。

それこそ苦労しないで理Ⅲに入ってくる学生を見ていると、日本の社会が一色になって具合が悪い。狭い世間がますます狭くなっていきますよ。


■コロナ禍における「科学的根拠」


――コロナ禍で専門家や政治家の口から「科学的根拠」という言葉が頻繁に聞かれました。


名越 コロナは恐ろしい病気ということを論説している人もいれば、恐れる必要はないということを論説している人もいます。本当に同じ病気の解説なのかと思うぐらい内容が違うんですよ。

普通だったら6割ぐらいはかぶるだろうに、もう本当にバラバラで、それ自体、十分興味深い現象が起きています。

養老 今言われた「科学的根拠」というものが入ってきたら絶対に信用しない(笑)。

名越 僕もね、いろいろ読んでいたんですけど、だんだんと自分の頭が割れそうになってきて。これはもう、まとめたり単純化して統一しようとすると誤るなと思うしかないわけです。

テレビに出ていて思ったのは、それまで一貫性がないことがメディアであって、だからこそ日に日に変わる情報の中で中立にいられるわけですし、我々も冷静でいられたのですが、コロナに関しては全く反対で、一貫しなければならないという強迫性を感じます。例えば、「副反応」という言葉。最初のころは「副作用」と言う人もいました。協定も結ばれていないのに、1週間ぐらいで全てのテレビが「副反応」と呼びだしたという印象です。

養老 副作用だと薬についてということになりますが、副反応だと患者のせいだということになるからです。体が勝手に反応したんだ、薬のせいじゃないということです。これは裏がありますね。

名越 明らかに操作的ですね。



――学的真実はどこにあるのか、どうやったら見極められるのでしょうか。

養老 それは分野にもよると思いますね。どういう問題を扱っているか、その切り分けが今できていないわけです。何もかも一緒にして科学的にやろうとするからできないのです。

名越 病原体についても、ワクチンと呼ばれる新規の薬についても、人類にとって初めての経験である要素があるにもかかわらず、エビデンスとか科学的にとか、すでに一本の既定路線があるかのように装って無理やり押し切ろうとするから歪みが出ていますね。


――身近な例ですが、屋外の喫煙所も次々と閉鎖されました。

名越 普通に考えたら、吹きさらしのところで吸っているのですから、クラスターなんか原理的にはあり得ないと思うんですけどね。僕は早く個人の判断を主体にしてやろうよという立場でしたので、緊急事態宣言の端境期に「鬼滅の刃」を見に行ったんです。映画館は超満員で、最後、みんなすすり泣いているんですよ、あちこちで。興行収入が500億円を超す大ヒットになりましたが、クラスターは少なくとも公称では1件も発生しませんでした。

僕が知っている限りではなんの検証もないのに(政府は)感染症部会の人たちがついているから、なんとなく科学的根拠があるという体をとっていたんですね。少なくともそれらを多角的に検証できうる人材は何千人もいるだろうから、もうちょっと、資料をもとに広く議論を公にしてほしいですね。


――コロナ禍で世界的に論文の提出数が劇的に増えたと言われています。

名越 ひとりの人間が全部を読み込むことは当然できなくて、グループでも難しいし、結局はAIに頼るとなったら、AIは人間的な配慮なんかしませんから、「ナンセンス」と返ってくる可能性すらあるかも知れない。僕だって一部しか見られないですよ。ある種、試しに両極端の論文を読んでいると、全然違う結果になっていることが多く興味深いですね。


(この項続く)


『ニホンという病』養老孟司、名越康文


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精神科医・名越康文のノートです。公式サイト http://nakoshiyasufumi.net/

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