太陽が死によみがえる瞬間を祝う
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高城未来研究所【Future Report】Vol.757(2025年12月19日)近況
今週は、名古屋にいます。
慌ただしい師走の街を歩いていると、ふといま世界中で同時進行している時間のレイヤーを、ふと考えることがあります。日本では冬至と正月を前にした独特の慌ただしさと静けさが同居し、欧米ではクリスマスと新年に向けて祝祭モードが加速する時期でもあります。
その表層だけを眺めていると、また旧正月を祝う中華圏などもあることから、一見単なる「文化の違い」のように見えますが、少しだけ歴史の深層に潜ってみると、これらが一つの「太陽の物語」を軸にゆるやかに接続されていることが見えてきます。
冬至は、太陽が一年で最も弱まる日であり、同時にそこから再び力を取り戻し始める「反転点」です。人類史のかなり早い段階から、多くの文明がこのタイミングを特別視し、「太陽が死に、よみがえる瞬間」として祝祭を行ってきました。
光が最も短くなる闇の極みの中で、「ここから先はもう、光が増えていくしかない」という絶対的な方向転換が起こる。
その一点に、「死と再生」「終わりと始まり」「絶望と希望」、そして暦の上での年末を重ね合わせてきたのが、古代の宗教と祭祀の基本パターンです。
この「太陽の死と復活」の物語が、やがてローマ帝国の太陽神崇拝と結びつき、さらにキリスト教の「救いの物語」と融合していきます。ローマでは、冬至の頃に太陽神を祝う祭りが行われていました。太陽が再び力を増し始める節目を、「無敵の太陽」「止むことなき光」として讃える祝日とし、その「太陽神の誕生日」の感覚が、後にキリスト教世界で「キリストの降誕祭(クリスマス)」という形をとりながら、日付上で重ねられていきます。
ここで使われたのは、きわめて象徴的かつ政治的な手法であり、時の為政者が「太陽の再生」の物語と「救世主の誕生」の物語を、同じ日付に重ねることによって、古い信仰と新しい信仰をスムーズにつなごうとしたのです。
興味深いのは、新訳聖書には「キリストが12月25日に生まれた」とは書かれていない、という点です。つまりこれは、歴史的な「実際の誕生日」というより、「象徴としての誕生日」を太陽のサイクルに合わせて誰かが設定し直したと言うことがわかります。
人々が長年親しんできた太陽神の祝日と、キリスト教が掲げる「真の光」「世の光」としてのキリスト像を、同じ時間軸に重ねることで、「あなたがこれまで太陽に見ていた光の源こそ、キリストなのだ」というメッセージを、暦そのものを通じて大衆へと伝えたのです。
ここには、「時間をデザインする」という、非常に高度な為政者による文明的テクノロジーが働いています。暦は単なる日付の並びではなく、人々の感情と期待と行動を同期させるための巨大なオペレーティングシステムに他なりません。
事実、現代社会に生きる多くの人たちも、誰かが祝祭日と決めたカレンダーにとらわれて仕事や生活を送っています。古代ローマの支配者たちは、冬至の祝祭に込められた「闇から光へ」「死から再生へ」という強烈な物語の力をよく理解しており、それを新しい宗教的・政治的秩序の中に組み込むことで、社会の大規模なアップデートを行おうとしました。
「太陽神の復活祭」は、大衆を掌握しやすい「キリストによってもたらされる救い」の象徴へと書き換えられ、やがては世界宗教の中枢イベントであるクリスマスとして定着していきます。
この視点から眺めると、「冬至こそ本当の新年である」という感覚は、西洋と東洋の両方に、異なる宗教の衣をまといながら共存していることがわかります。
西洋では、太陽神崇拝とキリスト教が重なり、「光が戻る日」が「救い主が生まれる日」として祝われるようになり、東アジアや日本では、太陽と農耕と祖霊信仰が重なって、「陽の気が生まれ直すタイミング」として冬至が尊重され、多くの神事や年中行事の設計にその感覚が織り込まれてきました。
表面的には「キリストの誕生祭」と「神社の祭礼」「かぼちゃとゆず湯」というまったく違う風景に見えますが、根底に流れているコードは、どちらも「太陽の復活」「光の再起動」なのです。
この「太陽の物語」を前提に現代を眺め直すと、1月1日から始まるカレンダー・イヤーはあくまで「制度としての新年」であり、その少し前、つまり冬至やクリスマスのあたりに、本当の意味での「世界の再起動」が毎年ひっそりと起きているように感じられます。
マーケットもビジネスも、「四半期」「年度」「期初・期末」といった人工的な区切りで動いていますが、何万年も変わらない人間の身体は、今もなお太陽のサイクルに深く同期しています。
だからこそ、この時期になると、理由もなく疲れたり、逆になぜか静かな高揚感が生まれたりする。そこには、古代から続く「冬至=リセット=再スタート」という身体記憶が残っているからなのかもしれません。
久屋大通公園のクリスマスマーケットやLEDイルミネーションが街角を飾る名古屋という大都市の中で、こうした壮大な時間のレイヤーを意識してみると、熱田神宮の参道やかがり火も、同じ人類的な祈りなのだろうな、と考えます。
カレンダーでは、今年もあとわずか。
しかし、再生の物語は「いわゆる新年」を待たずとも、もうはじまろうとしています。
来週頭の冬至を機に、大きくリセットするのをイメージしてみてください。
本当の歳末は、この週末です!
(これはメルマガ『高城未来研究所「Future Report」Vol.757』の冒頭部分です)
高城未来研究所「Future Report」
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。
高城剛 プロフィール
1964年葛飾柴又生まれ。日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオビエンナーレ」グランプリ受賞後、メディアを超えて横断的に活動。 著書に『ヤバいぜっ! デジタル日本』(集英社)、『「ひきこもり国家」日本』(宝島社)、『オーガニック革命』(集英社)、『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)などがある。 自身も数多くのメディアに登場し、NTT、パナソニック、プレイステーション、ヴァージン・アトランティックなどの広告に出演。 総務省情報通信審議会専門委員など公職歴任。 2008年より、拠点を欧州へ移し活動。 現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。ファッションTVシニア・クリエイティブ・ディレクターも務めている。 最新刊は『時代を生きる力』(マガジンハウス)を発売。
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高城未来研究所「Future Report」編集部