古き良き本物の祭りがいまも残る秩父

2026/10/19 08時30分公開 / 2026/10/16 14時33分更新
高城未来研究所【Future Report】Vol.800(2026年10月16日)近況
今週は、秩父にいます。

渋谷から直通で1時間50分。東京の地続きと言っていい距離なのに、山間部ではもう紅葉がはじまっています。標高1,100メートルにある三峯神社のあたりでは、杉や檜の濃い緑のあいだに楓やブナが赤や黄色を差しはじめ、朝晩は息が白い。10月の半ばでこれですから、東京の暦と山の暦は、まるで別の国のように離れています。

秩父は実に不思議な土地です。東京都心から直線で70キロほどしか離れていないのに、四方を山に囲まれた盆地で、関東平野とは地形も気候も空気も違う場所です。その真ん中に、秩父の人々が神の山と仰いできた武甲山がそびえ、12月の夜祭は、武甲山の男神が年に一度だけ秩父神社の女神に会いに降りてくる祭りだと言い伝えられてきました。ですが、その神の山を、大正時代から人間は削り続けてきました。その理由は、石灰岩を採ってセメントにするためで、結果、山頂の標高は1,336メートルから1,304メートルまで下がってしまいました。こうして秩父の聖なる山は、東京の高速道路やビルを建てるために、長年にわたって削られてきたのです。

1969年に開業した西武秩父線は、まさにその石灰石を運ぶために敷かれた路線でした。公式の由来にも「セメントの輸送と沿線の観光開発」が目的だったとあります。しかし、堤家が二代にわたって本気でリゾートを建てたのは、軽井沢であり、箱根であり、苗場であり、志賀高原でした。埼玉県内でプリンスホテルの名を掲げるのは川越だけで、秩父にはありません。
西武秩父線を小鹿野から軽井沢まで延ばす構想があったという噂は、当の西武の役員が「全くのデマ」と否定しています。つまり秩父は、西武が線路を引いたのに、開発し忘れた秘境なのです。

ところが、忘れられたからこそ、いまの秩父に最大の資産が残ります。開発されなかったから、三十四カ所の観音霊場をめぐる巡礼路は江戸時代の道順のまま残り、ユネスコの無形文化遺産になった夜祭は町の暮らしの中に息づいて、大正から昭和初期に秩父銘仙で栄えた町並みは、取り壊されずに天然保存されました。
近年、西武がようやく秩父を「重要なエリア」と呼び、駅前に温泉施設を建て、流線型の特急を走らせ、古民家を改装した宿を開いたのは、ここ10年ほどのことです。

また、現在の秩父で起きているもうひとつの大きな変化は、移住です。2024年に民間の人口戦略会議が「消滅可能性自治体」を公表した時、秩父郡市の市町はすべてその中に入っていました。
秩父市の人口は5万6,000人を切り、周りの町や村はさらに小さい。ところが隣の横瀬町は、2025年度には12年ぶりに転入が転出を上回りました。
転入237人に対して転出232人、差はたった5人ですが、25歳から30歳の層と中学生以下の子どもが転入超過に転じています。
人口7,400人、商店街も書店も高校もない町が、町そのものを企業の実験場として開放し、二拠点居住者や「関係人口」を呼び込んできた結果です。秩父市への転入者も年に1,000人を超えるようになりました。
彼らの多くは東京を捨てて来たのではなく、東京を広げに来ている。その人たちが、この土地の空気を少しずつ変えています。

一方、変わっていないことがひとつあります。それが、インバウンドです。
関東財務局が2024年にまとめた報告によれば、観光目的で日本を訪れた外国人のうち埼玉県を訪れたのはわずか0.6%で全国31位、外国人の延べ宿泊者数に至っては管内の0.3%にすぎません。
コロナ前の集計では、秩父地域の観光客およそ1,000万人のうち外国人は13万人、1%強でした。秩父市の観光客の73%は日帰りで、県の観光計画でさえ秩父エリアの外国人宿泊は「2%未満」と記しています。
地域の観光公社の記録には、観光資源と知名度はあるのに「効果的・戦略的に売り出すこと」が十分ではなかった、と自ら書きました。

そう考えると、ここは古き良き日本が、いまだ残っている数少ない場所なのではないか、と秋のはじめに実感する今週です。

近年、日本の祭りがフェス化するなか、ここには本物の祭りが、いまも残ります。

(これはメルマガ『高城未来研究所「Future Report」Vol.800』の冒頭部分です)


高城未来研究所「Future Report」
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。

高城剛 プロフィール
1964年葛飾柴又生まれ。日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオビエンナーレ」グランプリ受賞後、メディアを超えて横断的に活動。 著書に『ヤバいぜっ! デジタル日本』(集英社)、『「ひきこもり国家」日本』(宝島社)、『オーガニック革命』(集英社)、『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)などがある。 自身も数多くのメディアに登場し、NTT、パナソニック、プレイステーション、ヴァージン・アトランティックなどの広告に出演。 総務省情報通信審議会専門委員など公職歴任。 2008年より、拠点を欧州へ移し活動。 現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。ファッションTVシニア・クリエイティブ・ディレクターも務めている。 最新刊は『時代を生きる力』(マガジンハウス)を発売。
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