ゴミと言論
2023/05/21 03時24分公開 / 2023/05/21 03時27分更新
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※筆者プロフィールはTwitterに。Twitterでは長文になりそうなお話を筆記中。
道にゴミを捨てる行為は違法であり、それは皆分かっている。
偶然おちた紙くずから、悪意でばら撒かれたガラス片など色々あるが、とにかく物体であれば「廃棄物」として片付ける一択であり、違反者がわかれば罰則などがあろう。
一応「自由」が謳われ、使用が野放しである「言論」にもゴミの類はあると思っている。
ただ文字で書かれただけに見える言葉が、人心を傷つけ蝕み、下手をするとガラスで手を切る以上の、長期に渡るダメージを与えることもある。
“物体”よりも”言葉”は一段上に置かれているような印象で、言論について「ゴミ」と断じること自体に抵抗がある人も多いかもしれない。
だがSNSでまかれる有害なゴミ屑のような言葉より、道端に散らばった紙くずの方がよほど人畜無害、ということも多々あるように思う。
後者は「廃棄物」扱いだが、前者は「受け取り方による」だの「過剰反応」だの、受け取り側の問題にされ、ネガティブな判定を免れることもある。
だが、言論にも明らかに「ゴミ」は存在する。
素手でわざわざばら撒かれた廃棄物やガラス片を拾いに行くことはない。
有用な物を選別するように、言葉についても、自衛のために「廃棄物」に該当するかどうかの選別は行なった方がいいと思う。
「自分にとってのゴミ」と断じる罪悪感は感じなくていい。
自戒を込めて、普段自分は道にゴミを落とさない程度の注意を、発信する言葉に払っているだろうか、と時々考える(多分払っていない…)