馬鹿が集い馬鹿を騙す「痩せ薬ビジネス」の正体 ― マンジャロ騒動が映し出すもの
2026/05/31 14時00分公開
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【人間迷路 Vol.514より】
2019年に日本中を騒がせた「血液クレンジング」問題を覚えているでしょうか。ブロガーのはあちゅう(伊藤春香)さんら自称インフルエンサーが、医学的根拠のきわめて乏しい美容施術をSNSで拡散し、「効果への疑問」「誇大広告の疑い」として炎上した一件です。それから6年以上が経ついま、驚くほど似た構造を持つ問題が、はるかに危険な形で再燃しています。「マンジャロ」をめぐる騒動です。
マンジャロ(一般名:チルゼパチド)は、日本国内で「2型糖尿病の治療薬」として承認されている注射剤です。「痩せ薬」ではありません。週に一度、自己注射するタイプの医療用医薬品で、血糖コントロールに強い効果を持ちます。同時に食欲を抑制し体重を減少させる働きもあるため、近年は「痩せ薬」としてSNSで急速に広まってきました。何度でも強調したいのですが、本件は「痩せ薬」ではないのです。
問題の直接の火種となったのは、2026年5月にYouTubeで公開された番組「LAST CALL」での一幕です。この番組は、キャバクラ嬢を目指す女性が「挑戦者」として登場し、現役トップキャバ嬢が審査するという企画で、登録者数は約49万人を抱えています。その番組内で、審査員を務めるキャバ嬢のゆいぴすさんが挑戦者に向かって「マンジャロ打ちな?」と軽やかに勧め、「私は初めて打ったとき、1か月で5キロ痩せました」「こうなれますからね、皆さん」と体験談を披露しました。さらに番組MCの実業家・溝口勇児さんが、ゆいぴすさんをアンバサダーに据えたオンライン処方サービス「diet beauty(ダイエットビューティー)」に自ら出資していることを報告。初回1万7000円から、スマートフォン一台でマンジャロが届くというそのサービスは、「一人で頑張らないダイエット」というコンセプトのもと展開されていました。
SANAEトークンの件やブレイキングダウンでの違法オンラインカジノスポンサード問題などでも物議を醸してきた溝口さん周辺ですから、だいたい面倒なことをするのはお決まりのことなのでしょう。
しかしマンジャロは、サプリでも美容液でもありません。ましてや「痩せ薬」でもないのです。強力な血糖降下作用を持つ処方薬であり、ダイエット目的での使用はそもそも「適応外使用」にあたります。実は同じ有効成分を使った抗肥満薬「ゼップバウンド」がすでに国内で承認されており、肥満治療が目的であれば本来はそちらを使うべきです。それにもかかわらずマンジャロをダイエットに流用することについて、糖尿病医療に40年近く携わるある専門医は「でたらめであり、法律違反だ」と断じています。
また、そもそもBMIなどの指数ですでに痩せている人が、これらの薬を自分の判断で処方して食欲を抑制したところで、筋肉など基礎代謝を支える部位が細ってしまい、結果的に大リバウンドしてしまう問題も指摘されています。
当然のように、番組への批判はすぐに広がりました。医師で小説家の知念実希人さんはXで「マンジャロはあくまで糖尿病の治療薬であり、ダイエット用に使ったら適応外使用で、副作用が出ても救済対象外」と指摘したうえで、「素人が安易に勧めないで頂きたいです」と苦言を呈しました。ゆいぴすさんはこれに対して「医者でなければ医薬品に関わってはいけないのですか?」とXで反論しましたが、これがかえって火に油を注ぐ格好となり、炎上はさらに拡大します。
「医薬品の効果を体験談として宣伝する行為」は、それ自体が薬機法の広告規制に抵触しうるものです。たとえ本人に悪意がなくとも、処方薬について「1か月で5キロ痩せた」「こうなれますからね」と効果を強調することは、医療広告ガイドラインが原則として禁じる表現に当たります。出資者として番組内でサービスを宣伝した溝口さんも含め、事業者・広告塔・プラットフォームのそれぞれに責任が問われうる構造となっています。
行政の動きはすでに始まっています。東京都が2025年度にX上で発出した医薬品不正販売への警告497件のうち、約75パーセントにあたる375件がマンジャロなど糖尿病治療薬の取引に関するものでした。都の薬務課は投稿へのリプライ形式で直接警告を行い、改善されない場合はX社への削除要請も実施しています。さらに取引がXからTelegram(テレグラム)に移行しているケースも確認されており、都はいまや秘匿性の高い通信アプリへの監視も始めています。また厚生労働省は2026年1月から、不適切な広告を行う医療機関に対し、薬機法第68条に基づく是正通知の送付を開始しており、違反が認定されれば2年以下の懲役を含む刑事罰の対象になります。こういう馬鹿を騙す系のクリニックへの警告や摘発はどしどしやって欲しいと思います。
使用する本人へのリスクも見過ごせません。これは「痩せ薬」ではないのです。急性膵炎・胆嚢炎・腎機能障害といった重篤な副作用が報告されているほか、胃の動きを遅らせる作用から低用量ピルや抗生物質の効果が減弱するという薬物相互作用の問題もあります。水商売界隈での使用実態を踏まえると、避妊目的でピルを服用している女性への影響は特に深刻です。そして万が一健康被害が生じても、適応外使用では医薬品副作用被害救済制度の対象外となり、すべてが自己責任となります。この点は多くの利用者に周知されていません。
さらにやっかいなのが前述した中断後のリバウンドです。海外の大規模臨床試験(SURMOUNT-4)では、マンジャロを中止してから1年後に約83パーセントの患者が体重を再増加させており、減量分の半分以上が戻ったと報告されています。「痩せ薬」として始めた使用が事実上の長期依存を招き、月額1万円台後半から数万円というコストが半永久的に続く可能性があるのです。SNSでは「やめたら太る」という不安を煽る投稿も増えており、それ自体が新たな需要を呼ぶという悪循環も生まれています。
この問題でもっとも声を上げにくい被害者が、実は別のところにいます。本来マンジャロを必要としている2型糖尿病の患者たちです。美容・痩身目的の適応外使用が急増したことで、薬の供給が逼迫し、厚生労働省は「真に必要な2型糖尿病患者への優先供給」を医療機関に要請せざるを得ない状況が繰り返されてきました。日本糖尿病学会も同様の懸念を表明しています。血糖コントロールが崩れれば、失明・腎不全・神経障害といった合併症のリスクが高まります。「痩せたい」という欲求が、「死なないために必要な薬」の入手を阻んでいる。この現実は、一連の炎上報道の中でほとんど語られていません。これは、コロナ禍で同様に馬鹿が騒いだ「コロナウイルスにはイベルメクチンが効く」という妄言から馬鹿が殺到し、その結果、イベルメクチンが一部不足してしまい腸管糞線虫症や疥癬(かいせん)の治療薬が不足して疥癬患者さんが困るという事態となったのと代わりありません。
翻って「なぜこの問題は繰り返されるのか」を考えると、血液クレンジング騒動との構造的な一致が浮かび上がります。インフルエンサーが自身の「体験談」を発信し、SNSがそれを増幅させ、行政の規制は後手に回る。批判が集まると当事者は「個人の体験を語っただけ」と主張し、実質的な責任は宙に浮いたまま次の炎上案件にニュースが移っていく。研究によれば、若年女性の痩身願望はSNS上の情報に強く影響されており、「痩せている方が望ましい」という価値観の内在化こそが問題の根底にあることが示されています。インフルエンサーを通じた医薬品の体験談型宣伝は、まさにその内在化を利用したビジネスモデルです。
血液クレンジングは「効果が疑わしい施術」でした。まともなクリニックは幾ら儲かるからといって絶対に手を出すことはありません。しかしながら、今回のマンジャロは本物の処方薬であり、本物の副作用があり、本物の供給逼迫を引き起こし、見えないところで本物の患者を苦しめています。スケールも深刻度も、6年前とは比べものになりません。それでも問題の構造が変わっていないとすれば、炎上が収まったあとも制度的な議論を続けることが必要です。誰がどこまで責任を負うのか。インフルエンサーへの規制はどうあるべきか。オンライン診療による処方の安易化をどう防ぐか。「痩身美容」という市場のなかで、医療はどこまで関与すべきか。これらは炎上の熱が冷めたあとにこそ、静かに問い直されるべき問いです。
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「人間迷路 Vol.514 懲りない面々が群がる痩せ薬ビジネス騒動にツッコミを入れつつ、連立政権の行方と与党内議員連盟のあれこれや人間とAIの関係などを思い煩う回」(2026年5月31日発行)序文より
山本一郎メルマガ『人間迷路』
ネット業界とゲーム業界の投資界隈では知らぬ者のない独特のポジションを築き、国内海外のコンテンツ制作環境に精通。日本のネット社会最強のウォッチャーの一人であり、また誰よりもプロ野球とシミュレーションゲームを愛する、「元・切込隊長」こと山本一郎による産業裏事情、時事解説メルマガの決定版!
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山本一郎(やまもといちろう)
1973年、東京都生まれ。96年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、新潟大学法学部大学院博士後期課程在籍。社会調査を専門とし、東京大学政策ビジョン研究センター(現・未来ビジョン研究センター)客員研究員を経て、一般財団法人情報法制研究所上席研究員・事務局次長、一般社団法人次世代基盤政策研究所研究主幹。著書に『読書で賢く生きる。』(ベスト新書、共著)、『ニッポンの個人情報』(翔泳社、共著)などがある。ブロガーとしても著名。
山本一郎メルマガ「人間迷路」編集部