エアコンがもたらす功罪
2026/05/18 08時30分公開
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高城未来研究所【Future Report】Vol.778(2026年5月15日)近況
今週は東京にいます。
立夏に入ったばかりだというのに、日中少し足早に歩くと粘りつくような湿度が漂ってきました。
地下鉄内で流れるニュースをみれば、今年はすでに4月から30°C以上の地点が多く出るなど、カレンダーよりも先に暑さがやってきていて、来週はまた一つ、暑さのレベルが上がって「熱中症に注意!」とテロップが流れます。
多くの人たちはエアコンを「ずっと前からあったもの」のように錯覚していますが、日本の一般家庭にエアコンが本格的に普及しはじめたのは、せいぜい1970年代以降のこと。僕が子供の頃は、電車内でも窓を開けて扇風機が暑さ対策のデフォルトでした。
各家庭でも1960年代の普及率はほぼゼロでしたが、わずか60年あまりで90%を超える水準にまで達しています。この60年という時間は、人類史のスケールで言えば、ほんの一瞬の出来事に過ぎません。
エアコンの歴史を辿ると、1902年ブルックリンの印刷工場に行き着きます。25歳の若き研究エンジニア、ウィリス・ハヴィランド・キャリアが、サケット&ウィルヘルム・リソグラフィー・プリンティング社の印刷工場の生産問題を解決するために作ったのがはじまりです。
ただし、この機械は「人間を涼しくするため」に作られたのではなく、刷られた雑誌のページが湿度によってシワになってしまう問題を解決するのが目的でした。彼は冷却コイルを用いて湿度を制御する装置を設計し、「空気処理装置」として特許を取得。
つまり、エアコンの最初の顧客は、人ではなく紙であり、やがてその技術は綿紡績工場、製パン工場、そしてキャンディ製造業へと広がっていき、人間の快適性に応用されるのは、ずっと後のことでした。
そして、この発明が、20世紀後半の世界地図を大きく書き換えていきます。
20世紀後半から目覚ましい成長を遂げたシンガポールの建国の父リー・クアンユーは、晩年「シンガポールの成功の秘訣は何か」と問われ、「エアコンディショニングだ。エアコンは我々にとって最も重要な発明であり、おそらく歴史上の画期的な発明の一つだった。
それは熱帯における文明の本質を変えた。エアコンなしでは、早朝の涼しい時間か夕暮れにしか働けない。私が首相になって最初にやったのは、公務員が働く建物にエアコンを設置することだった」と述べています。
ドバイもまた、エアコンによって書き換えられた都市です。何世紀ものあいだ、人々はアラビア湾の灼熱と湿気を、ウィンドタワー(風塔)で数度温度を下げる程度に耐えるか、アル・アインの山の涼しさへ逃れることで凌いできました。
英国の植民地時代、中東湾岸地域への赴任は「過酷地勤務」と呼ばれ、せいぜい2年が限度の左遷扱い、いわば島流しのような場所でした。
ところが20世紀後半、状況は一変します。1973年、UAEにエアコンが持ち込まれ、家や事務所の建てられ方、そして人々の暮らし方を根本から変えていきました。
こうしてエアコン導入により、オフィスビル、タワーマンション、巨大ショッピングモール、ホテル群が林立。現在もドバイやアブダビなどのGCC諸国の現代都市は、エアコンなしでは存在し得ません。つまり、オイルマネーが中東を変えたのではなく、エアコンが中東を都市化したのです。
一方、人間の体は、本来、気候の四季のリズムに同調するように設計されています。
概日リズム、HPA軸(視床下部―下垂体―副腎系)による体温・コルチゾール変動、自律神経のサーカディアン・スイッチングは、日中の暑さと夜間の涼しさという「温度差」を必要としています。
ところが、現代のエアコン生活はこの温度差を消し去ってしまいました。
一日中、室温は一定。屋内と屋外の温度差は10度を超えることも珍しくないため、汗腺は使われず、皮膚血管の収縮拡張の訓練は失われ、視床下部の体温調節中枢は「使われない筋肉」のように退化していきます。
これがいわゆる「冷房病」の正体であり、様々な不調を訴える人たちの深層に潜んでいます。より深刻には、自律神経の長期的な機能低下、夜間体温低下不全による睡眠の質の悪化、そして概日リズム全体の鈍麻へと繋がっていくのです。
特に懸念されるのは、就寝中のエアコン使用が深部体温の下降カーブを攪乱することです。本来、入眠時には末梢血管が拡張して熱を逃がし、深部体温が下がることで眠りに入ります。
ところが冷えすぎた空気は皮膚血管を収縮させ、かえって深部体温の放熱を妨げてしまうのですが、人々はエアコンの存在をなかったように無視しています。
東京の地下鉄ニュースに限りませんが、世界中で温暖化や熱中症に注意喚起の報道が行われるほど人々はエアコンに頼り、結果、室外機の影響で世界はさらに暑くなる「危険な悪循環」が生まれ、医学的にも生態学的にも極めて不安定な均衡の上に成り立つ文明を作りあげました。
これは進歩でしょうか、それとも退化なのでしょうか。
熱帯を切り拓いたエアコンは、確かに偉大な発明だったのは間違いありません。しかし、それが人類の体内に眠る「気候への適応力」を奪っているとすれば、その代償は決して小さくありません。
日本の梅雨が、もうすぐ始まります。
(これはメルマガ『高城未来研究所「Future Report」Vol.778』の冒頭部分です)
高城未来研究所「Future Report」
高城未来研究所は、近未来を読み解く総合研究所です。実際に海外を飛び回って現場を見てまわる僕を中心に、世界情勢や経済だけではなく、移住や海外就職のプロフェッショナルなど、多岐にわたる多くの研究員が、企業と個人を顧客に未来を個別にコンサルティングをしていきます。毎週お届けする「FutureReport」は、この研究所の定期レポートで、今後世界はどのように変わっていくのか、そして、何に気をつけ、何をしなくてはいけないのか、をマスでは発言できない私見と俯瞰的視座をあわせてお届けします。
高城剛 プロフィール
1964年葛飾柴又生まれ。日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオビエンナーレ」グランプリ受賞後、メディアを超えて横断的に活動。 著書に『ヤバいぜっ! デジタル日本』(集英社)、『「ひきこもり国家」日本』(宝島社)、『オーガニック革命』(集英社)、『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)などがある。 自身も数多くのメディアに登場し、NTT、パナソニック、プレイステーション、ヴァージン・アトランティックなどの広告に出演。 総務省情報通信審議会専門委員など公職歴任。 2008年より、拠点を欧州へ移し活動。 現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。ファッションTVシニア・クリエイティブ・ディレクターも務めている。 最新刊は『時代を生きる力』(マガジンハウス)を発売。
高城未来研究所「Future Report」編集部