シンクロニシティの起こし方

2023/03/29 17時30分公開 / 2023/03/29 17時39分更新

「シンクロニシティ」ということば

この不思議業界にいると、よく聞くのがシンクロニシティという言葉。セレンディピティともいいますね。

何か不思議な偶然の一致が立て続けに起こってくるという現象。それ自体はどうということはなくても、体験してしまうと、なんとも不思議なゾワゾワ、ワクワクを感じてしまうということが多いものです。

たとえば、誰かのことを考えていると、その相手とばったり会う。知りたいな、と思っていた情報がたまたま手にした本にバッチリ載っていた。

あるいは、みなさんのなかには、「そうそう、まさにそれを探していた」なんて情報がこのなかにあったという人もいるかもしれませんね(そうあって欲しいもの)

で、こういう意味のある偶然の一致を、心理学者のユングは「シンクロニシティ」と呼んだのです。

 

「シンクロニシティ」はユングの造語だった

ただ、ユング自身のシンクロニシティの定義はどうもはっきりしません。いや、ユングはシンクロニシティを定義してはいるんですが、自分の定義から外れたようなこともすぐにもってきてしまうので、どうも捕えがたい。

「シンクロニシティ」というのは、ユングの造語で、二つ以上の事象が「シンクロ」して起こることを指すわけで、「同時性」とか「共時性」と訳されることが多いのですが、たとえば、未来予知のようなこともそのなかに含まれたりするので、時間的な一致のことだけではない。

つまるところ、単純な因果関係だけでは説明しきれないような、意味のある偶然の一致が人生のなかでは起こってくることがあって、それが人生の重要な契機になることがある、ということをユングはその臨床経験上から感じ取っていたということなのですね。

そして、そうしたさまざまな人生の事象が、まるで星座を形作るようにアレンジされていることを、ユングは「コンステレーション」(まさに星座)と呼びました。心理学用語では、「布置」といいます。この布置を読んでいくのが、占いだもいえるのではないでしょうか。



「ご縁がある」ということ

ただ、シンクロニシティというと、何か特別なことのように思えるかもしれませんが、実はこれ、日本人にとってはきわめて常識的な、というか日常的な概念だと思うのです。

はっきりいってしまえば、「ご縁がある」ということ。あの人とは不思議な縁があったなあ、とか、この縁でこれをはじめるようになった、というときの使い方だと思います。

そんなことを考えていたら、実際、最近のユング系の本では、シンクロニシティを「共時性」としてではなく、「縁起律」と訳す動きもあったりして、なるほど、とうなずいたりしているところでもあります。

ただ、このシンクロニシティというのは考えはじめると、実にやっかいな代物でもあるのです。

たとえば、タロット占いや易をするとしましょう。展開されたカードのなかに、あるいは卦のなかに、ぴったりとその本人の内的、外的な状況が読みとれたとしましょう。これは「シンクロニシティ」です。

でも、シンクロニシティはその定義上、因果律を越えていて、あくまで「偶然」なのですから、こちらから「起こす」というのは、そぐわないのです。


超能力や魔術との違い

ここでいわゆるPK(念力)とかESP(テレパシー)といったものと、シンクロニシティというのが別の考え方にたっているということがわかります。

ユング自身はPKやESPの実在を信じていたようで、超心理学者であるライン博士とも積極的に交流していますが、少しすれ違うようなところもあって、それがこのシンクロニシティと超能力や魔術との立場の違いでしょう。

とはいえ、実際の臨床や占いの現場では、結果的にシンクロニシティが「起こりやすく」なるような状況があるような気はします。

タロットを一生懸命混ぜるようなときもそうですし、夢にたいして気持を開いているというときもそう。占星術もそうですね。何か不思議なことがあって、ホロスコープを立ててみる、ということもあります。

また、「引き寄せの法則」的に何かにお願いをしたり、祈りをささげるということも「効く」こともあるでしょう。

科学的ではないにしても、実際にこうした気持が現実世界と不思議な絡み合いを見せることは、経験上ありますから。

やはりぼくとしてはこの「シンクロニシティ」「ご縁」の感覚をどこかで残しておきたいのです。


自分と世界が調和する時

こんなことを考えてみましょう。ユングもよく出す例なのですが、雨乞いの祈祷師のことです。

中国の田舎で、干ばつが続いていたときのこと。そこに雨乞い師が呼ばれました。で、どうするか。護摩をたき、全身全霊で祈りをささげる、というようなパターンを想像しがちですが、実はさにあらず。

道士は何もせず、用意された小屋にただはいって、そこに座っただけなのでした。そのまま何日かすぎると、なんと、雨が降り出した、という結末。

これは一体、魔術やシンクロニシティの喚起なのでしょうか?

道士がいうには、その場の調和が乱れていた。だから、まずは自分のなかに調和を取り戻すことで、自然にその周囲の世界にも調和が戻ってきた、というのです。

この逸話が本当かどうかはわかりませんが、シンクロニシティ的な奇跡の現象をよく表わしていると思うのです。

自分と世界が調和したときに、不思議な一致が「おのずから」起こってくる。これは自分の力が無理やりに何かを起こしているというのではない、ということ。

がつがつと何かを祈念するときには、実はその願いがかなわなかった場合にたいしての恐怖や恐れが必ずセットになっています。

感情としては、恐怖や恐れの方が強い。だから、そちらにひきずられてしまいがち。そうではなく、気持をオープンにして、この世界にたいして開いていくということ。

それがもしかしたら、シンクロニシティが起こり「やすく」なるということなのかもしれません。これが黒魔術と白い魔法の、実際のところの違いではないかと思っています。



※この記事は「鏡リュウジメールマガジン プラネタリー夜話」2013年5月13日Vol.044<シンクロニシティの起こし方>を元に再構成したものです。


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占星術研究家・翻訳家。様々なメディアを通して占星術や占いの魅力を語っています。英国占星術協会会員。日本トランスパーソナル学会理事。平安女学院大学客員教授。京都文教大学客員教授。 東京アストロロジースクール代表講師。

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