炎上と"いい人”
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※筆者プロフィールはTwitterに。Twitterでは長文になりそうなお話を筆記中。
ここに紙があるとする。
一人はガスバーナーを持っており、一人はマッチを、一人はライターを、一人は火のついた線香を持っているとする。
そして普段から火のついてない紙に、油を塗りたくっている人がいる。
ここでの油とは、「根も葉も無いこと」「誰が見ても邪悪なこと」「下劣、幼稚な中傷」
など、普段であれば誰も相手にしないような低劣なことだとする。
どんなに悪質な油が塗られてはいても、それだけで火がつくことはない。
ところが何かのきっかけで、着火可能性のあるものを持った人間が火を放つと、発火が起こる。
この時、もちろん火力が強いのはバーナーだろうが、他のものも「火種」にはかわりない。
自分はいざこざが面倒な性格で眺めるだけになることが多く、バーナー(最初の放火犯)やマッチやライター(便乗系)にはなりにくいのだが、気をつけたいのは、見ているうちに若干の「言いたいこと」が起こり、線香の先くらいの火を投じてしまいたくなる。
これに注意したい。
小さかろうが火は火なので。
そして、紙にどんな油が塗られているのかわからない場合が多い。冗談のような根も葉もないデマでも、毒ガスを放つような悪質な燃料の元が用意されている場合がある。
感情がある限り、「火種」自体を持っていない人はいないように思う。
見聞きしたことには、多少なりとも感想や印象は抱いてしまうでしょう。
自分のモットーとして、「油の塗られた紙自体にそもそも近づかない」を肝に命じている。
別に「俯瞰して中立を保てるクールな人」を演じているとか「いい人」ぶっている、と思われても構わない。
だって実際に「いい人ぶっている」ので(これでも)。
事態を収められるような気がしない自分のような器の者にとっては、被害が大きくなりにくいように思うから。
本質はともかく「いい人のふり」をしたまま一生を終えられたら、それは単なる「いい人」ではないか。
と思っていたりする。
そちらの方が自他共に、与える影響が穏当に思える。
(大体、その人の「真の姿」なんて誰にもわからない)
本来の資質が邪悪だったとして、それを全開にして生きて、誰に何の得があるのだろう。
周囲にはもちろん、本人にも何の益もない。
逆のパターン「自分は善良なんだ」と確固たる意識があって実際に”資質は善良”だったとしても、表出する行動が暴力や犯罪だったらそちらのほうがよほどまずいだろう(例えば「自分の愛情は深い」「自分は純粋だ」という信念のもとに行われる DVやストーカー行為など)。
というわけで、「線香の火でも火種は火種である」「可燃性のあるものから遠ざかる」をモットーにしているというお話でした。