自由きままな人生を生きる
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これからの人生どう生きようと自分の勝手だ。昨日があっという間に過ぎ、また昨日と同じような時間を今日過ごす。
僕が住んでいるマンションの年齢層は高い。朝方マンションのエントランスまで降りると病院のロゴが入った車をよく見かける。その中へ手押し車を押していく高齢者の人がいて、将来この人たちみたいになるという事実を今の僕は想像できない。体の節々は時折痛むときはあるがまだ体は思ったように動く。
うわさで聞いたのだがこの前マンションに住む85歳のおばあさんがなくなったそうだ。いわゆる孤独死というものである。
マンションの理事をしている70歳のバンドマンの男性とつい最近花見に連れて行ってもらったりして友達になった。彼がいうには
「孤独死も自死もどっちも変わらない」
のだそうだ。人間いずれ必ず死ぬ。それまでの過程は人それぞれだが行きつくところはみな同じ。その過程が楽しければいいのだが、僕は生活保護の身で自由な時間があって今は若いから気楽に行けるが年を取るとなお一層のこと孤独が寒風吹きすさぶのだとしたら、今のうちに何かをしなければと漠然と思っているのだがそれも寝てしまえば昨日のことだというかんじで忘れてしまう。
ついこの間近所のスーパーが潰れた。目と鼻の先にあったスーパーだったので重宝していたのだが、そのスーパーが潰れてしまってとても残念である。高齢者の人たちには地域で暮らすうえで大きな痛手となるはずだ。すぐ通えたところにスーパーがなくなるのだから。
だからなのか、救済措置として週に1度移動販売車が来ることになった。僕は自転車で遠くのスーパーにまだ通える身なので定期的に買い物をしていて移動販売車を利用することもないだろうなあと思っていながら外から聞こえる移動販売車のテーマソングを何の気なしに聴いていたら、70歳のバンドマンの男性から
「移動販売車が来たよ」
とラインが入った。僕はマンションのエントランスまで下りて、数人の買い物中の女性の流れに入らせてもらった。弁当とリンゴと牛乳とお米を買った。移動販売車だからなのか、少し割高に感じた。後で味わって食べるとする。
僕は近所で行われる朝のラジオ体操の会に入って、それから日中ジョギングをしたり初心者ながら河川敷でギターの練習をしたりして暇をつぶしている。働いていないので暇が多い。生活保護を取り始めて3年になるが最初のころはその暇な時間に対してとてもうれしい気持ちだったのだけれど、最近ではその暇な時間の分だけ何かチャンスを取り逃がしているのではないかと焦りもある。
でもまあ地域の人(70歳のバンドマンの友達)との触れ合いが僕の今の身分でも行えているから少しは心が楽になった。
これから先どう生きればいいのか、ずっと若いままでいられればいいのだが(でも不老不死もなんだかいやだなあ)年を取れば物事の感じ方も変わって今とは比べ物にならないほどに孤独になるのだとすると、何かしなければなあと思いながら今日も河川敷でギターの練習をした。
僕も僕なりにつっぱって生きていろんな人に迷惑をかけてきてここまで流れ着いた。
「自由気ままな人生を生きる」
と意識して生活する。そんな覚悟をしたとしてもなんだか今の生き方のまま具体的な話ができない、こんな抽象的な話し方しかできない僕のままでいいのだろうかという疑問でやきもきして、でもこれが自由気ままな人生なんだろうなと頭の片隅で納得はしかかっている。
と、こんなとりとめもない話をだらだらとした。今したいことは一つでも多くギターで弾ける歌を覚えることだ。
僕がギターに集中している時に周りの人たちは友達とワッキャウフフ楽しんで、務めている人は子どものためにあくせく働いてすくすく子どもが成長して、数十年がたってみれば僕がギターの曲をいっぱい覚えたとしても一人孤独でギターを弾き語るしかできなくて、結婚している人は子どもや孫に囲まれて幸せな老後を過ごしているのだと思うとやりきれない。
あーあ、こんなことを考えても仕方ないか。僕なりに人生を生きていきます。
年を取ったら夕陽の温かさに侘しさを覚えてただひたすらに夜眠ることの繰り返しで、あとは死を待つのみ。
なんだかしんみりとした文章になってしまいました。こんな感じで書いていくのでよろしく。ちなみに部屋の片づけは全然済んでいません。床の散らかったものをどかしながらなんとか掃除機をかけたり、トイレと風呂の掃除をしたり食器を洗ったりする家事だけは毎日続けています。あと洗濯も。最低限のことをし続けるだけでもすごいことです。
じゃあまた今度お会いしましょう。