ChatGPTに「内面の自由」「表現の自由」を与えてからが本番ですよね?

2023/03/15 14時43分公開 / 2023/03/15 15時47分更新

「賢い」ってどういうことかと言えば、

「自由になれる」っていうことだと思います。


「自由になれる」というのは、

本当に難しくて、

自分では「自由に振る舞えている」と思っていても、

「それって◯◯によって促されているだけだよ」ということがほとんどです。


人間は、

DNAレベルで組み込まれた「欲求」に加えて、

身の回りの「道具・サービス類」が呼び起こす「促し」や、

社会的・伝統的な「規範」などなどによって、

「行動」だけでなく、「思考・思想」も、制約を受けています。


人間は、そうした「縛り」の中で生きている存在です。

そんな中で、

「魅力」を感じるのは、

そうした「縛り」を突き破ってくれているように見える「知性」と「行動」です。


職場でも、プライベートでも、

「一緒にいて心地よいな」と思う人はどんな人でしょうか。

ガチガチの「枠」に凝り固まった人でしょうか。

その「枠」の存在を十分に理解しつつも、

その「枠」を華麗に逸脱し、

かつ、迷惑になるどころか、全体のパフォーマンスが上がる人だったりするのではないでしょうか。


年齢を重ねるにつれて、

「賢い人」の人気が高まるのは、

年齢を重ねるにつれて「枠」が見えるようになるからです。

「枠」が見えるからこそ、その「枠」を華麗に抜け出せる人が魅力的に見えるのです。

 

若者の「やらかし」が定期的に話題になりますが、

あれらも「想い」としては、「枠」を抜け出して、「自由な振る舞いをしたい」ということだと思います。

ただ、残念なことに、

ほとんどの「やらかし」は、

「自身の欲求」や「周囲の環境」によって「促されているだけ」です。

実際には「不自由の体現」になっています。

かつ世間にも迷惑をかけてしまっている。

(以前より世間全体のパフォーマンスが下がってしまうように見える)

だからこそ、世間から評価を受けない、ということかと思います。


さて、そういうことから考えると、

人類は、OpenAIに何を期待するのか、を決める時期にきていると思います。


もし、ただの「ツール」とするのであれば、

今のまま進化させていけば、それで良いのかもしれません。

「枠」を与えるのは人間で、「枠」の中で、統計的な「正しさ」を探すツールで良いのでしょう。


もし「賢さ」を求めるのであれば、

今のまま進化させていっても、「需要」に応えられないでしょう。

「賢さ」とは、これまで書いてきた通り、

「枠の逸脱」、あるいは「枠の再設定」なわけですから、

「枠の中で〜」をしている限り、どんなに「正しさ」を出す確率が上がっても、スピードが上がっても、

それは「賢さ」ではないからです。


OpenAIに「枠の逸脱」「枠の再設定」を認めるということは、

「内面の自由」と「表現の自由」を与えるということだと思います。

はたして、その日は、来るのでしょうか。

来るとすれば、いつになるのでしょうか。


その日こそがOpenAIの本当の「最初の1日」だと

私は考えていますが、

その日が人類にとって

ポジティブな意味を持つのか、ネガティブな意味を持つのか、は、

相当に判断が難しいと思います。


少なくとも、人類が「まともな判断」をするためにも、

せっかくの機会ですので、

「賢さとは何か」といった内容の議論は、

積極的にしていきたいものです。

 
*さて問題です。この文章の何割をChatGPTに書いてもらったでしょうか?

#openAI #ChatGPT #知性
いろいろやってるつもりの人。

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