迷子問答代表質問:生成AIの波に翻弄される映像制作者
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【人間迷路 Vol.478より】
Q 【生成AIの波に翻弄される映像制作者の葛藤】
山本様、ご無沙汰しております。いつもはSNSで絡んでいただきありがとうございます。
メルマガ読者の皆様はじめまして。
私は50代男性で、20年ほど前に独立して映像制作会社を経営している者です。
質問は、仕事に関することです。
妻と高校生・中学生の子ども二人がおり、これまで順調に事業を拡大してきました。主にテレビ番組やWeb動画の制作を手がけ、技術者数名を正社員として雇用し、多くのフリーランスの方々とも長年にわたって協力関係を築いてきました。
しかし、ここ1〜2年で生成AIの進歩が想像を遥かに超えており、正直なところ深刻な危機感を抱いています。特に動画生成AIの精度向上は目覚ましく、従来なら人間の手で丁寧に作り込んでいた映像表現が、短時間で一定のクオリティまで自動生成できるようになってしまいました。これは映像の制作技法の根幹を揺るがすのではないかー! と心配になっています。
そんな中、山本様のnote記事も拝読しました。膝を打ちました。これから起きるのはこれではないのかと。
生成AIのお陰で必要とされる判断量が激増して死ぬほど忙しくなった話
最も直接的な影響を受けているのが、コンテ絵(絵コンテ用のラフイラスト)制作の仕事です。これまでは企画の初期段階で、ディレクターや演出家の意図を汲み取りながら手描きでイメージボードを作成する仕事が月に10〜15件程度ありました。単価はそれほど高くありませんが、この仕事には重要な意味がありました。
一つは人材育成の場としての価値です。映像業界を志す若いアシスタントやデザイナーにとって、シノプシス(やまもと註:脚本に起こす前のあらすじ)から割り当てるコンテ絵制作は基礎的なスキルを身につける絶好の機会でした。クライアントの要望を理解し、限られた時間で的確にビジュアル化する能力は、後の成長において非常に重要な土台となります。悪く言えば、絵コンテで構成を仕上げられるように育成するか、それが無理そうなら別の仕事に回す、解雇することも含め、ということで、選別の材料になっていたんです。実際に、それができない子はこの仕事に向いてないよねというレベルの、いわゆる「素振り」なのです。しかし今では「AIで十分」という判断をされることが急激に増え、若手の育成機会が失われています。
二つ目は業界内での人脈形成です。コンテ絵受注ほか、ラフまわりの仕事を通じて様々なディレクターやプロデューサー、他の制作会社との接点が生まれ、それが大きなプロジェクトへの参加につながることも多々ありました。この「入り口」となる仕事が減ることで、業界内での存在感が薄れていくことを強く懸念しています。
さらに最近では、プロデューサー自身が企画段階でAIを活用するケースが増えています。仮の脚本からイメージラフを生成し、それを企画書に添付して持参するのです。一見すると効率化に見えますが、実際には深刻な問題を孕んでいると感じています。
従来であれば、企画の視覚化には必ず人間の解釈と創造性が介在していました。脚本の行間を読み、監督やプロデューサーの意図を汲み取り、さらに実現可能性も考慮しながらビジュアル化する過程で、企画自体が練り上げられていくものでした。しかしAI生成のイメージは、表面的には美しくても、そうした深い思考プロセスを経ていません。
結果として、確かに撮影にまで漕ぎ着けるスピードは速くなったのですが、それは良いとしても企画段階での議論が浅くなり、実際の制作段階で「思っていたものと違う」「実現が困難」といった問題が頻発するようになりました。また、AI生成画像の画一的な美しさに慣れてしまうことで、人間らしい不完全さや偶然性から生まれる創造性が軽視される傾向も感じています。山本様がお話されていたマスターピース(傑作)濫造問題ってのは、おそらくこの辺じゃないかと思っています。
経営面では、幸いコンテ制作の売上がなくなっても会社の存続に支障はありません。もともと、企画の前段階の仕事はそこまでおカネを追い求めるものではありません。しかし、業界全体の創造性や技術継承、人材育成といった観点で考えると、単純に「時代の流れ」として受け入れて良いものなのか悩んでいます。
家族からは「時代に合わせて技術を取り入れ事業転換すれば良い」と言われますが、この30年間築き上げた業界での役割や責任感もあり、簡単に割り切れません。生成AIとどう向き合い、この変化の激しい時代に映像制作者としてどのような価値を提供していくべきか、ご意見をお聞かせください。
A 【流れに抗わず、しかし志は忘れず】
こちらこそ、リアルでは大変ご無沙汰しております。
このような形で質問まで頂戴し、とても光栄です。
弊業界でも似たようなことは勃発しており、起きたことについてはお読みいただいたnote記事として年初にまとめて、非常に多くの読者さまより賛否ご反響を頂戴しました。
というか、あれを見て否定してくる馬鹿は何なの、何様なのと思いましたが、反論批判も評価のうちとしてちゃんと聞き流しておきました。チッ、うっせーな。
で、やっぱり生成AIで読み解いて持って来られるラフや企画、計画の類というのは、過去の人類の遺産の集積であることも踏まえるとどうしてもマスターピース的な最適解であると同時に、なぜか50点60点ぐらいの出来のものを送ってくるわけです。せっかく良い感じでまとめてきたのに、なんでそんなにそこそこなの、ということで、それを売り物になるまで仕上げるには膨大な工数がかかり、その割に、50点60点ぐらいまでのものはみんな生成AIで作ってスピーディーに持ち込んでくるので、100点近くまで仕上げるのは結局人力です。
そして、100点まで仕上げられるのは人であり、仕上げられる人が育てられないので、それはそういうものなのだとして組織を率いなければなりません。裏を返すと、生成AIで到達できるレベルの50点60点のクオリティしか出せないけど手は速いよというような人はクビになります。どんどん、クビになるのです。
結果として、画竜点睛ではありませんが最後に仕上げをしっかりとできる、高い点数を出せる人しか生き残らない修羅の世界になっていくのだろうなあというのが、この問題の核心ではないかと思っています。
さらに、最近嫌な思いを複数したのでアレですが、確かに生成AIはマスターピースを中心にまあまあの点数を出すようになり、最近、さらに微細で精密なものも作ってくれるようになって、作業が簡略化できる面は確かにあるわけなんですけれども… 生成AIは「この出力は、これを作ろうと思って構成したものだ」という、創り手の思想というか方向性がまったくありません。なので、東京の街並みをラフで再現しようとすると、街路の向こうに赤い龍の置物とかが見えていたりするわけですよ。どういう教師データで街並みとは何かを学んでいるかが分かろうかというものですが、おそらく、AIにとってはそういうものが街並みなのであるという以上の何か、方向性、思想ってのは皆無なんだろうと思うんです。
そういうコンテクストも理解して70点、80点の生成AIも創られていくのかもしれませんが、そこはもうはっきり「俺はこれが100点だと思ってるからそれを創りたいと思ってるんだよね」と言い切れる才能のあるクリエイターなり企画者なりプロマネなりにとっては安い値段でプロトを作ってくれる天国は来れども、その下のランクで、これからいろんな経験をして行くんだという人たちにとっては悪夢で、飯が食えなくなる時代がやってきます。
業界を支えてやってきた人は、ゲームであれ映像であれ「これを作るんだ」と言い切れる人が、その創ろうとするものの解像度を上げていく作業で生成AIを使いつつ、しかしこれからこの業界で頑張っていきたいけどまだ何をしていいか分からないという人たちを単純に切り捨てて関わる人たちを細らせていいのかという問題にぶち当たります。
特に、私なんかは特にそうですけれども人との調整とか、企画の根幹のところを触る人間としてここだけは譲れないものは何かを突き詰めるタイプの人は、その価値や意味を評価していただいて生き残ってきたという自負はあります。ただ、最初からそういう人間だったかと言われると決してそんなことは無いわけで、よく分からんけどまずは作ってみるか、というところから始まって、手がけているうちに何となく意味が分かってきて価値が生まれてきていつの間にかジジイだけど生き残って大御所のような扱いに祀り上げられたけどまだ需要はあるので最前線で仕事を死ぬほどさせられているという構造です。
そういうライフパスのようなキャリアというのはそこここに本来あるべきで、それが生成AIによって登竜門自体が失われ、何かのモノを作ったり、誰かが行き詰まったものに命を吹き込み直すような作業は、やっぱりそこに意味や価値とは何かを突き詰め、思想や方向性を打ち建てて実現させていくプロセスってのがどうしても必要です。それを抜きにして何かを手掛ける、なんてのはやっぱりむつかしいわけでして… さてどうしたものかとは思います。
結論としてはまったく違うことになりますが、個別に生き残るという点で言えばすべてのことは忘れて生成AIの技術的発展に乗っかってどんどん上を目指していくべきだと考えています。たとえ、それが粗製乱造のそしりを免れ得ないものなのだとしても。しかしですな、このメルマガ然り小説やシナリオの下書き然り政府・与党での政策審議に類するペーパー然り、結局生成AIはほとんど使わないんですよ。情報収集と来ている資料の整理ぐらいのもので、みんな便利そうに大量の書類を要約するのに生成AI使っているけれど、私も専門分野ではなんだかんだ根性で全部読み、自力でメモ書きをして、要約を作ります。絵コンテを作る生成AIが60点という意味とほぼ同じく、生成AIの書類のまとめも、やっぱり60点ぐらいでしかないんですよ。専門分野で、例えば公職選挙法と国会議事録を生成AIに喰わせて整理させても、なんだこれってのしか出力されてこない。GoogleでもClaudeでもChatGPTでもそうですが、どのエンジンでも最低限のまとめはできても高品質なハイライトは出てこないわけです。
そこから、専門のローカルLLMを準備してずっと対話しながら整理していくと70点ぐらいにまで上がってくるんですけど、でもやっぱり最後は100点に近くなるまで自力で作業して品質を上げていく作業になります。まだまだ、人間がやらなければならないことの方が多いし、思想や方向性を生成AIがコンテクストとして理解してベクトルに打ち出してくるまでには技術もキャッチアップしていないようであるから、そこはもう全部根性で人間がやり遂げるしか方法は無いのだろうと思っています。
つまりは、生成AIはいまある業界が今後同じようにある中で、毎年同じように発注があるものであるならば「いままではこうだったので、じゃあ次はこうしよう」というときに使えるツールです。そこには志は特にない。でも、いままだ見たことのない業界の新しいこれを実現するんだとか、こういう提案をして先方に納得してもらうんだという人間の心の部分、willに関するところは、生成AIでは置き換えが効かない本来の意味での価値なのだろう、そこを大事に研ぎ澄ませながら仕事に追われつつも日々を生きて志を抱いていくのがやっていく秘訣なのだといつも考えながら徹夜しています。
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「人間迷路 Vol.478 在留外国人の国民健康保険問題とはなんぞやということに触れつつ、年金改革関連法案やAI法案などについてあれこれ考える回」(2025年5月30日発行)序文より
山本一郎メルマガ『人間迷路』
ネット業界とゲーム業界の投資界隈では知らぬ者のない独特のポジションを築き、国内海外のコンテンツ制作環境に精通。日本のネット社会最強のウォッチャーの一人であり、また誰よりもプロ野球とシミュレーションゲームを愛する、「元・切込隊長」こと山本一郎による産業裏事情、時事解説メルマガの決定版!
山本一郎主催の経営情報グループ「漆黒と灯火」
真っ暗な未来を見据えて一歩を踏み出そうとする人たちが集まり、複数の眼で先を見通すための灯火を点し、未来を拓いていくためのサロン、経営情報グループです。
山本一郎(やまもといちろう)
1973年、東京都生まれ。96年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、新潟大学法学部大学院博士後期課程在籍。社会調査を専門とし、東京大学政策ビジョン研究センター(現・未来ビジョン研究センター)客員研究員を経て、一般財団法人情報法制研究所上席研究員・事務局次長、一般社団法人次世代基盤政策研究所研究主幹。著書に『読書で賢く生きる。』(ベスト新書、共著)、『ニッポンの個人情報』(翔泳社、共著)などがある。ブロガーとしても著名。