新年早々残業していたら誕生日になった
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新年明けました。
旧年中は、父・山本芳男の逝去と、実家チワワ・さんた、拙宅鯖猫・わさびたちのお別れに暖かいお言葉を賜りましてありがとうございました。
暮れは暮れで長年ご一緒した店子さんや、かつてご一緒していた投資家が亡くなるなどして慌ただしくしたおりました。何度も申しますが、私に無断で死ぬのやめてください。
で、2025年冒頭からいくつかお引き合いがあり細々と精査しておりますが、いよいよあれこれもたなさそうな印象の一年でございます。何でそんなに焦っているかと申しますと、私も含めてお引き立てくださっている偉い先生方が皆様軒並みご体調不良となり、もしも皆さんポックリ逝かれてしまうといろんなものが全部止まってしまう上に選挙とかあるので大変な混乱になりかねないことを心配しているからです。
「死んだら死んだで何とかなるよ」と先生方は仰るのですが、何ともならなかったときに現場で死ぬ思いをするのは私たちですので、目鼻つくまで勝手に死なないでほしいとお願いしたら爺さん怒ってました。いや、本音ですって。
経済とか財政、外交、安保についてはさておき(さておくなと言われそうですが)、内政国務マターで言いますと、地方、半導体、社会保障については現行制度で大盤振る舞いできるリミットが近づいております。正直、例えば2027年に大きい地震があって緊急でどうにかしろと言われても財源がないよって事態になる恐れは割とあると思っております。
何度も申していますが、あまり人が住んでおらず、復旧はできても復興は大変困難な能登半島に1兆円近くの国費を投入しても、今度はインフラの維持費が地元経済の状況では捻出できず、無駄銭になる可能性が高くなっています。
同じようなことは、医療でも教育でも起きていて、おそらく人が減って持続不能になった地域は、何をしても機能が維持できず、擦り切れるように縮小し崩壊していくことでしょう。
で、こういうのが万バズしているのが流れてくるわけだ。
気持ちとしては分かるんですよ。税金が高くて、社会保険料も手取りを大きく削りますね。これがなくなれば、みんなもっと楽になると思うんじゃないかと。
ところが、20代の人たちは、真面目に働いていても、所得の中央値は「世帯で」330万ぐらいなわけで、所得税と住民税は非課税になっていたり、そこまで払っていない人たちが4割近いんです。社会保険料も、いうほど払ってはいないので、ここで言われるような「税金や社会保険料が高いので結婚できない」というのは、単に「お前の稼ぎが足りないだけ」です。
一方で、若者が結婚してもいいかなと思えるような賃金を設定できなければ、婚姻数が増えず少子化が進むのも事実です。そうなると、賃金水準の低い地方や地元を抜けて、都市部にいこうとする若者が増えるのもまた当然のことと言えます。それは、もっぱら成年する女性が地元を捨てる選択肢を積極的に取ることで、地元で婚姻数が増やせず地方で「男余り」が発生し、生産性の低い職場とそれに適合したヤンキーしか生きていかれない地方経済になり埋没していくのです。
医療政策の観点からは、そういう地域に医療を貼り付けるにあたって、医師偏在だ地方偏在だという話になるのも、地域に産科や小児科が無ければこの地域で子どもを生んで育てようなんてことには絶対ならないじゃないですか。道東某地域なんて、地元に二軒しかなかった小児科の片方が閉院してしまい、一か所になっちゃって熱を出した子どもたちを乗せた車が年末年始で長蛇の列になっているとか、なかなかシビアな状況になっています。そういうところに、地方創生ですと言って予算をつけて、本当に住民が幸せになるのか考えたほうがいいと思うんですよ。
もっと言えば、地元議会も議員立候補者が定員に足りないとか、地元市役所がニーズ無さ過ぎて午後2時に閉まる割に豪雪地帯では除雪予算が足りなさ過ぎて目抜き通りが雪で埋まり経済が麻痺しているとか、地元にマンパワーが無くてそこにカネを突っ込んでもどうにもなりません。地域住民の有権者の6割が50代以上で出産可能性ゼロであることを考えれば、自治体を再興するよりも地域ごときちんと看取って行政・公共サービスを集約することが今後は求められていくと思います。
道州制の導入については是非あるかと思いますが、大前研一さんが打ち建てた平成維新のころは前向きな道州制だったのに対し、今般検討が始まるかもしれない道州制は撤退戦の序曲となります。いわば、人が済まない地域を設定し、そこには行政サービスを行わず、最低限のインフラで済ませることで、衰亡する地域に無駄な予算を突っ込まずに済むようにしていくアプローチにならざるを得ない、ということでもあります。
昨年元旦に起きた能登半島地震とその後の豪雨被害は悲惨でしたが、すでに復旧に向けたインフラ整備で1兆円ほどの予算が積まれても復興はむつかしく、回復したインフラを維持するコストが減った地元人口や経済では捻出できなくなるでしょう。過疎地を見捨てるのではなく、災害の多い日本において、地元人口や経済がサステナブルに維持できるレベルまで災害復旧を行い、経済復興に掛けられる費用はきちんと投資対効果をシビアに見ていかないといけない、ということです。感情論で、可哀想だ、復興させるべきだという人たちは、それらの原資が税金であることを忘れています。
同じような話は、ナショナルミニマム(最低限の福祉水準)とは何かを探る動きと同時に、学校無償化の議論でも、ひとくちに「無償化」と言っても原資は税金であることを考えれば「税金化」であり国による丸抱えになります。特に大学無償化については、大学の教育効果と並んでベビーブームから3分の1になった18歳人口でさらに減っていく現状の中で、外国人留学生や生涯教育などに頼って大学運営をしている法人にまで救済のような教育無償化をやるべきかは厳密に考えていかなければなりません。というか、なんでおカネを使う方向で改革しようとするのかよく意味が分かりません。むしろ、学費はしっかり値上げしたうえで、成績優秀者には返済不要な給付型奨学金を増やして猛烈に学び論文を書いてもらうほうが、境界知能の皆さんも多数通うFラン大学を救済するよりも予算の使い方として適切なのではないでしょうか。そうでないならば、高校まで義務教育にするとか、別の道筋のほうが妥当なのではないかとすら思います。
…ここまでスマホで書いて、原稿が消えた。腹立たしい。そして今日は52歳の誕生日だ。んでまだ仕事してるし。なんて日だ。