幼少からの性別違和

2023/04/25 21時17分公開 / 2023/04/25 22時33分更新

※筆者プロフィールはTwitterに。Twitterでは長文になりそうなお話を筆記中。

※よろしければこちら「性同一性について」も併せてどうぞ。


どうやらご自身の想像だけで「幼児期から性別違和などあるはずがない」と言っていた方々を見かけたので、淡々と自分が経験した事実を書きます。

(GID治療のガイドラインであるカウンセリング時に提出した自分史にも同様の事を提出)


僕は2~3歳時から保育園通いだったが、「性別違和と呼べそうな現象=他の子となんか違うみたい」を感じていたのはその頃からだった。言葉は早めの子供だったようだが(2歳3ヶ月時に童話を朗読している声がテープに録音されていた)もちろん”性別”とか”ジェンダー”という概念を認知していたわけではなく。


保育所での着替えやトイレの際、男児を見て、なぜ自分には同じ性器がないのか、立って排尿ができないのか。

この疑問と残念な感じが割と日常的にあった。3~4歳の頃。

これは口に出したこともあったけれど、周りの大人が笑いながら、またははっきりタブー感を出していなされたので、「口に出すのも許されていない」感じがし、その後は自分の中で違和感や残念な思いを抱えていた。


それからは、当時、男児向けとされるおもちゃや遊びを選んではいちいち「君向けではない」と遠ざけられたり、5歳の七五三の時の服が着られなかった酷く残念な感じ、7歳の七五三の服や親戚の冠婚葬祭の女児向け礼服が本当に嫌だった嫌悪感など、節目節目で「性別分け」の壁にぶつかる。

「嫌い」というよりとにかく「自分に合わない感」「違うものを身につけさせられてる感」が強かった。


自分は1976年生まれで昭和の最終年が小学校六年生という世代。

こまかく覚えているのはなぜかというと、自分が選択する物事に対し、いちいち"Not for you"な目にあったから。


ここで「望んだ物事に否と言われず反対の性別用のものを与えられていれば、性別違和はなかったのでは」という論調になる方もいるが、自分の場合はそうではない。

身体違和も幼少から。胸部切除までにしたのも健康・経済的諸事情を天秤にかけた結果である(♂身体にならない限りは生涯払拭されないでしょう。死ぬよりマシなのでこれで生きてます)。

ジェンダー解体はまた別枠で議論が必要な話に思う。


僕はAFAB(assigned female at birth)だが割とはっきりした反対側向けの服や趣味を好む、いわゆる「わかりやすいGID(性同一性障害)的なタイプ」であった。


6歳の誕生プレゼントはプラレール、7歳はドッヂボール、8歳はサッカーボールを望んだ。キン消し、チョロQ、ミニ四駆、モデルガン、カー消しやメンコなど、自然と「男児が主に遊んでいる球技やゲームなど」ばかりやるようになる。

オトコオンナとか女は入って来るなと言われつつも参加したい欲が優って参加しているうちに順応し、小学校時代は遊びのメンツとして主に男児の中にいた。


これは単に、スポーツ好きや好みによるものだったと思う。

こういった好みを示さないAFABのGIDの方もいるし、同様の好みを示すシス女性(生まれの性別と性同一性が一致している女性)の方もいる。自分も「男向けだから」好んでいたわけでなく、単に楽しそうなものを望んでいたら、たまたま「当時男児向けとされている遊び」が多かったというだけだ。

女児の友達を失うのが嫌で、人形遊びに加わってみる的な周囲に合わせる行動もしていたが、あまり好きにはなれず。小学校以降、現在も女性の方を「異性」と思う感覚がある(現在はパンセクシュアルで、好む相手のジェンダーIDは特に拘らない)。


男児らしい子供であったが、途中から「僕が好きという遊びは大人が許してくれない」という諦めの感覚が根付き、なんというか”どこまでOKか”空気を読むようになった。

当時は性的少数者に関する情報は皆無に等しく、服にしても遊びにしても「わがままを言うな」と人格否定的に怒られるだけだったので。


子供は周囲の大人には逆らえないし、親心や善意で言ってくれているのもわかっている。できる範囲で抵抗するしかなかった。

それに「おばあちゃんが作ってくれた浴衣」「おじいちゃんが買ってくれた(女児向けの)ランドセル」と言われて、たとえ好みと乖離していてもその物品を拒めるだろうか。少なくとも僕は拒めない子供だった。”孫や子を思う気持ち”が乗せられた物事には従うしかなかった。


念のため、親や親戚の人たちは大変良くしてくれたので、それは感謝している。

「女児が生まれたので女児向けを」という、当時一般的な感覚で、善意でもって愛情深く処してくれただけだ。

ただ、自分の性質には合致していなかったし、GIDという概念を知る大人もいなかった。情報がない当時は「男勝りのおてんばな女児」ということで結論づけられていた感じ。

概念を知らなければ、子を思う大人としては「普通じゃない・異端である=周りから浮いて仲間はずれにされてしまう・いじめられてしまう」ことを恐れるたがめ、僕を”矯正”しようとするような行動を取ってしまったことも無理はない気はする(される方は”理解されない”という絶望の上塗りになって心を閉じることになるのだが)。


両親は公務員の共働きで、割と規則正しく忙しい家庭だった(現在では珍しくもない環境だろう)。


ちなみに同じ環境で育った妹は、いわゆるシス女性の片鱗しかなく、4歳くらいから髪を伸ばしたがり、人形遊びが好きでメイクも好きで、僕がドッジボールやレスリングなんかに付き合わそうとしては迷惑がられた。

わかる限りで、親戚筋にも性的少数者の片鱗を持つような人はいない。


当然ながら、GIDは遺伝や育ちや親のせいではなく、自分という個体にたまたま発現した現象であると思う。


追記

自分の場合はたまたま物心ついた時からの発現だったが、人によっては思春期から、結婚・出産してから違和感の正体に気づいた、といった方もおられる。

どの時期から発現するのが"正解”"本物”などではなく、個々の事情はそれぞれ十人十色であることを言い添えておきます。

Love Cats/LGBTQ/AFAB,GI,Pan/he,they/Creator(script/sound/etc)※筆者プロフィールはTwitterに。Twitterでは長文になりそうなお話を筆記中。Audiostockで楽曲販売中→https://audiostock.jp/artists/59586/audios

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