TGでありながらノンバイナリー表記をする理由

2023/06/05 12時55分公開 / 2023/09/06 18時05分更新

※筆者プロフィールはに。Twitterでは長文になりそうなお話を筆記中。

※よろしければこちら性同一性について」「幼少からの性別違和も併せてどうぞ。


※個人的な話で長文です。どうぞお時間のある方…

 

僕は胸部切除のみを行ったノンホルのGI(現Gender Incongruence 性別不合・Gender Identity Disorder 性同一性障害)

当事者です。

45歳6ヶ月で手術を受けました。

性別違和は物心ついた頃からでカウンセリングは20代の頃に終えていましたが、諸事情により先延ばしになっており、GID認定病院で保険適用者として治療しました。

 

「元女子」とか「移行」という言葉に違和感があるので、それは自分には使いません。自分を「女子」と認識して生活したことはなく、「女性から男性になった」という実感もないからです。

 

自分は1976年生まれ。男児のやっている野球やサッカーに混じるくらいで「女は入ってくんな」と言われた時代です。ネットもなくLGBTという言葉も影も形もなく、「世界びっくり大賞」というTV番組に「性転換者」が登場してものすごく特殊な人という印象で、話題自体がアンタッチャブルな空気でした。特に地方都市では情報が少なかった。

 

性別違和は保育園児の頃からでしたが、戸籍は♀なので、生活や各種手続きの際はそちらの分類ではありました。周りの大人にも教育者にも、その問題に詳しそうな人はいない時代です(両親は小学校教員でしたが)。

典型的な男児が好む遊びで男子とよく遊んでましたが、それを指摘され、奇異に映る恐れがあると知ってからは仕方なく周りに合わせておりました。悪目立ちが嫌いだったのです。

 

中学のスカート制服も嫌すぎましたが、拒否すれば「反抗的」「わがまま」「思春期の気の迷い」で済まされていじめの対象になる、内申点が下がるだけに決まってるという空気。選択・相談の余地などなかった。

そのため周囲には何も伝えず、私服高校に入るためだけに分類に従って大人しくしていました。

(高校は女子校だったがスカートを履かずに済む選択として当時ベストであり、学校名は致し方なかった)
        第二次性徴に至っては絶望のあまり逆に考えたくなく、身体を「単なる機械」のように見做してました(丸い身体と生理を忌避するあまり摂食障害気味になったりもしました)。

 

そんなわけで周囲が機械的に行う分類は仕方のないものとして、精神的に「女性であった」実感はなく、自分が我慢できる範囲で枠に従って迎合していました。

 

胸部を切除したことも、長きに渡ってついていた腫瘍が取れて精神的によりすっきりした、というだけに過ぎない。それで「男になった」という新たな感慨があるわけではなく、自分の性同一性は今までと変わらないです。

(というか「“女性ではない”という今までのジェンダーIDにより近づくために治療をした」ということです)

 

なので「移行」という言い回しにも違和感があります。「移った」感覚がないので。

 

様々な会社での就労経験では止むを得ず戸籍上の性別でしたが、現在はフリーランスで、手術したところで「身体がしっくりきた」という感慨以外に、特に生活が変わっていないということもあります。


逆にいうと「手術前後で行動・生活が変わらないからこそ、GID認定患者として手術の許可が出た」とも言えます。

つまり「未手術の状態でも男性的な生活をしており、手術してからいきなり行動表現が男性的になり始めたわけではないので、出生と反対の性別に近づく手術をしてOKという判断がされた」ということ。

(ただこの状態では戸籍変更ができないので書類上は女性のままですし、仕事上の都合もあるので改名もしない予定です。最近のキラキラネームであればギリ男名でいける…かも…若者じゃないですが)

 

僕が♂の身体に生まれていたら、特にわだかまりなくシスジェンダーヘテロセクシャルだったと思います。

 

衣食住の趣味嗜好はわかりやすく男性側によっていて、女性向け商品を一生買うなと言われても一つも困りません(サイズのない服や生理用品以外で、家に女性用アイテムが皆無。購入時も選択肢に入らない)。

 

子供時代〜今まで、自分が「妻・母になること」などは自身に起こり得ない異次元世界の認識で、逆に父子が遊んでいる光景を見かけたりすると、「“父”になってみたかった」と時々思います。

(既にFTMパパさんとして生活している方々がおられますね)

 

女児として扱われた生育歴の中では「男らしく女らしく」規範は勘弁してくれと思ったけれど、生来からの♂だったらすんなり「男らしく」を受け入れたように思うし(男体保持者、いわゆる"強者”設定としての自分に課される分には、マッチョイズムやダンディズムは嫌いではない)、もしかしたらフェミニズムに関心がなかった可能性もある。

 

たらればになりますが、もし盲腸を治すくらいの身体的・経済的負担で♂の身体へと機能も含めて変われるなら全てを行なっていたと思います(機能を得るのはどう頑張っても不可能で、僕としてはその絶望と違和感が最も強く、それが得られないのでSRSを諦めたという感じです。まあ今世では致し方ない)。

 

また、後10センチ背が高く、恋愛対象が女性のみであったなら、ホルモン等も行っていた可能性が高い(僕は153センチで女性平均より身長が低く、男性との交際経験が多かった)。


全治療を行なって埋没されるトランスゲイの方もいますが、僕の世代的にFTMコミュニティでも共感が得られにくく、言いにくかった(つまり男性と付き合う=女とみなされる、という空気で分類が雑な時代)。

 

もし「男女」にかっちり分けられることが必須の職業を選んでいたら、できる限り反対側へと身体の変更をしたかもしれない。

 

けれど、上記の要素において、僕はそういうタイプではありませんでした。

 

結果として様々な属性の方々と付き合ってきたパンセクシャルであり、性別不詳者が居やすい分野での仕事が多かった(というかできるだけ男女の扱いに差のないニュートラルな職種を選択した)。


女子校での教育もあり、女性が様々な不利を被る現在の社会の状態は気色が悪く、フェミニストであります。(女性に限らず、どの属性の人々の生きづらも緩和されるのが望ましいと思ってます)。

 

ジェンダーによって人を縛る言説そのものが、男女どちら向けを問わず苦手に感じる人間になりました。

 

 

 

以下、埋没されている方や、より”完璧に”男性の見かけを追求されている方への批判などでは全くありません。

 

僕もそうしたい気持ちは非常に解りますが、諸事情によりしない・できない者としての見解です。

 

僕は性別的な見かけについて「パスする ・しない」という段(尺度)から降りてしまいました。

人を見て「男女どちらかと判断する」というのは、見た人間の持つフィルタによって変わってしまうから、と思うこともあります。

 

例えば、一昔前のご高齢の方が、「長髪=女性」と反射的に思ったりするのもフィルタの一つかと。

二丁目で働いたり治療後の当事者と交流があった自分からすると、いわゆる同類と思しき方は、治療されていても何となく分かります。これは僕の持つフィルタです(僕からすれば、”埋没”と名乗られている方も「パスしていない」ことになる可能性がある)。

 

僕はこれまで、女性的な本名を晒し、洋服がメンズなだけでパスしようともしていないのに、男性と認識されて長時間仕事をしていた経験が何度もありました。男性と思われて職質されたり、習い事の格闘技で組手を行った後に気づかれたことも(子供時代は、顔つきや行動によりしょっちゅう男児に見られた)。

 

小柄で未治療なのになぜ勝手にパスすることがあるのかと考えたのですが。

野郎系で怖めの顔や低い声の他に

 

・女性の自意識がない

・男に見られようと頑張っていない

 

という、力の入ってない状態だったから、のような気がします。

 

あくまで僕の考えですが、

性同一性とは自然な無意識的な状態での自己認識であり「”〇〇に見られたくない、間違えないでくれと思いつづけている状態“ではない」ように思います。

 

(「いや、それだって性同一性だ」という意見を否定はしません。ただしそれは自分や他人にジャッジを向け続ける、心休まらない不安状態に思える。僕が根性なしで簡単に諦めるタイプだからかもしれませんが)。

 

個人的な予想ですが、いわゆるマジョリティのシスジェンダーの方々、普段、仕事や日常生活において、ご自分の性別などそこまで意識されないんじゃないでしょうか。

 

僕の場合

「ナチュラルで平常心の状態でいるとどうなるか」

ということの中に、”女性”が入ってない。

 

男性と言い切れないのは、身体や戸籍が異なっているからです。

ここの齟齬をできるだけ解消したくてGIは治療をするのだと思いますが、僕の場合は前述のようなわけで胸部切除まででした(もちろん理想は機能を含め完全なる♂の身体となることですが、それは不可能です)。

 

基本的に、人が自分に抱く第一印象を操作することはできません。

通りすがりの方や人間関係の浅い方が僕を見てどちらと判断しても(どっち?という疑問符のままでも)構わないと思うようになりました。

 

実際、これまでも飲食店や路上で胸あたりをじろじろ見られ続けたり、道を歩いていたら見ず知らずの人に「男女どちらですか」と聞かれたり(本当にそういうことがあった)などは何度もあり、まあ多過ぎてどうでもよくなったのですが。

 

別に通行人や袖振りあったくらいの人達に、男女どちらかにきっぱり見分けてもらうために生きているわけでもありません。

 

(「見分けてもらうことが重要だ」と思う方を否定するわけではありません。個人的な感覚ですが、シスジェンダのー方々もそれほど意識されてなく、トランスジェンダー故の敏感な気がかりのように思います)

 

年齢的なこともありますが、「周囲の納得感」のために自分の身体に恒常的な副作用をかけ、経済的負担を負うのは止そうと思いました。

 

治療において重視すべきは、周囲がどう思うかより、自身の納得感と心身の違和感の払拭だと思います。

 

そして僕は

「万人が必ず”男女どちらか”に寄せた見かけをしなければならない」という価値観に与しません。

性同一性という意味において「世界に”男女しか”存在しない」とは考えておりません。

 

男性か女性かはっきりすること=ゴールでも、偉いことでもないし、全員が目指すべきこととも思っていません。

 

実際にXジェンダーやノンバイナリー、フルイドの方々もいらっしゃる。

どちらにも見えない人、どちらにも見える人が存在していて全く構わない。

ホルモンのみの人、手術のみの人、異性装、無性装のみの人なども、後ろめたくなく存在していい。

もちろん男女に見分けやすい方々は従来通りにされていていいし、TGで男女どちらかに埋没したい方はそうされればいい。

 

(法律の範囲内で)全員がご自身のしっくりくる格好をして構わない。

 

それこそが多様性ではないかと思っています。

 

数の大小はあるでしょうが、どの属性に優先順位も優劣もない。

 

社会の全員が気兼ねや気苦労なく、ジロジロ見られたり値踏みされたりすることなく、自然に道を歩けて生活ができたらと思っています。

 

社会の成員を「男女どちらかの両極に寄せること」ではなく、「実際に多様な性別の様々な格好の人たちが普通に歩いているのが”自然な光景”になること」が理想だと思っています。

 

※トイレや更衣室における問題が起きるのは「トランスジェンダーや見かけの曖昧さ自体」によるものではなく、ジェンダーIDに関わらず「通常の使用が目的でない悪意ある犯罪者が迷惑行為を引き起こすこと」なのであって、属性の話とはきっぱり分けて考えていただきたいところです。


現在の「はっきり明確に男女と分かる人たち」が大多数な「男女別のトイレ」であっても、どこかしらで盗撮などの問題が起きています。TGの話が出てくると突然「防犯」を持ち出し、以前からいずれかのトイレを利用していたセクシャルマイノリティを犯罪予備軍のように言うことは明らかにヘイトだと考えます。

 

シスジェンダーの方がそうであるように、GIと言っても様々なタイプがいます。

 

男性でも高い声、色白、華奢、体毛が薄い、というタイプはいらっしゃる(そういうシスヘテロ男性と付き合っていたことがあります)。永久脱毛やメイクをしたり、女性以上に清潔に気を配る方々もいらっしゃる。

 

僕は色の白い「もやし」のような男性というのに近いかなと思います。

(願わくばもっと身長は欲しかったですが致し方ない。現在筋トレと武術修練中です。細マッチョを目指します)

 

それと自身の希望とは別に、成人近くまで「機械的に女子側に分類されて教育を受けてきた」時点で、そして就労中は女性分類であったこともあり「生まれつきのシス男性と完全に同種」というには、僕個人としては無理があると思ってます。

 

服装など実生活に関する具体的なことなら学べばいいけれど、言語化が難しい部分での、集団になった際などの”男性的習慣”が身についていないと思う(そのことが良くなかったとは、今では思いません。IDで躓くことのないシス男であったよりも、様々な思想に触れる機会に恵まれ、多少は思慮深くなったように思います)。

 

まあ教育されなかったこともあり、男性社会でのヒエラルキー争いやマッチョイズム、ホモソーシャルな連帯に興味もないし良き慣習と思ってもいないので、今更そちらに寄ろうとか吸収しようともしていません。

(「そんな奴は男と認めない」という人がいたら「貴方の中ではそういうタイプは男性と見做さないのですね。どうぞご自由に」で終わりです。その人が“全男代表”でもなければ、その人に”認められる”ために生きてるわけでもない)

 

また物理的にDNAがXXで、天然のテストステロンが分泌されている生命体ではないので、筋力・腕力などのフィジカルな部分はどう頑張ってもかなわないと思っています。

(念のため、鍛えて限界に挑戦されているFTMの方を揶揄しているのではありません。筋トレ自体は僕もやっていますし、真剣に努力されている方々の取り組みはとても素晴らしいと思う。ただ自分の身体的な器として厳しかろうということです。153センチ39キロなので…)

 

繰り返しますが

自分にとって性別違和の治療のゴールというのは「健康状態を含めた自身の納得感・QOLの向上」であり、「よりに近い身体になること」とは思っていません。

 

 

もちろん、心情的に完璧な納得感を得られるのは、DNAを含めて完全なの肉体となることです。しかしそれは不可能なので「折り合いつける最終の治療箇所が人それぞれになるだろう」という話です。

 

の身体を目指すあまり、内臓や血管、骨など肉体の健康を損なって活動できる時間が減るのは、自身の心身にとって最善とは思えない。そんなわけで自分の人生を考えた上で、現在のところ、治療は胸部切除のみとしました。だからと言って「女性の部分を残した・女性の感覚がある」という話ではない。女性の感覚がなかったから診断書を取って手術に至ったわけなので。


(これは本当に人によります。しつこいですが「自分の場合はそこまでであった」ということです。SRSまで完遂してこそ心身の安定が得られる方は、ぜひ安全な形で進めていかれたらと思います)

 

”男らしさ”を求めて、男性特有の欠点と思しき事まで身につける気もさらさらありません。というか不快な思いをしたことが多々あるので、そんな奴には極力ならないようにしたい。

(弱い立場の人に対する居丈高な態度、電車内で足を開くなど迷惑な言動を取る傍若無人さ、女性を軽侮するマンスプ行為だとか、他、いわゆる有害な男らしさは滅びればいいと思ってます)

 

「男女どっち?」と分けないと気が済まない人にはいっそのこと「どっち?」という分類でいいよ、とすら思います。

 

自分の心身、性同一性に納得感があれば、その人が自分を男性とみなさなくても「どちらとも思えない」でもまあ仕方ないか、という感じです。他人の感覚はコントロール不可能なので。

(そういった意味で、僕は男女二元論を基本とするTGより、Xジェンダーやノンバイナリーの方に近いところがあるように思っています)

 

「GI(性別不合)だったので手術したんです。女性ではない。人称はheかtheyだと助かります」

「そうなんだ」

くらいでやりとりが終わって、単に“人”として扱ってくれれば良いと思ってます。

後は自身と周囲の方々の生活が快適であればいい。

 

自分の場合は、分かってくれる方が認識している形で十分です。

自分にとって近しい大切な人たちというのは、それほど多人数にはならない。

 

(ちなみに現在の日本の多くの仕事において、性別がいちいち問題となるような局面の方が少ないのではないでしょうか。もちろん男女の不均衡は残っていますし、TGは就労時や書類上の手続きで非常に鬱陶しい思いをしたり、下手をすると就労すらできない場合がありますが、それはまた別で解決すべき問題です)

 

繰り返しますが、

TGで埋没してパスできている方は、それはそれで素晴らしいと思います。

ただ、できる人できない人、やろうとする人しない人がいるだけで、どちらも普通に存在していい。どちらが本物だとか好ましいという議論自体が無意味に思います。

 

誰もが、他人に心身の在り方についてジャッジや強制をされる筋合いはありません。

(当然、他人に害を及ぼす犯罪行為に至る場合は除きます)

様々な性格や体質を持った全員が、自身の納得感と自然なジェンダーアイデンティティ感覚とともに、他者を排斥せずに生活できることがベストだと思ってます。

 

ところで

GID(TG)を認めない人にかかると、どういう要素を話したところで、男女二元論および生まれの性別の縛りから一歩も離れようとしないことがあります。

「占い好きなんだ?やっぱり根っこは女性なんだな」

みたいなことを言ってきたり(→男性占い師の存在をガン無視)、

格闘や武術などをやっているといえば

「男子になりたくて必死なんだ」

みたいなことを言い出したりする(→女性格闘家を何だと思ってるのか)。

 

それ自体は別に悪ではありません。その人の価値観だし、価値観が違う方と関われないわけではない(あまり不快なら無理に関わることもないとは思いますが)。

 

ただ僕の場合は、この人は自分のフィルターである「この世には男女しか存在せず、他人の感覚は”自分の想像に及ぶ範囲”にしかない」ということを、吟味したり考え直したりする気がないんだなと認識して、議論から降ります。

 

まず「男性らしさ・女性らしさ」など、かなり相対的で流動的な概念だと思います。

 

国や文化や時代によっても異なりますし、同じ種類の「らしさ」を反対の性別で、時と場合に応じて都合よく使っていることも多々ある(例えば「強い」だの「可愛げ」だの)。

そのあやふやなものに惑わされ、強制されるのはうんざりしているのです。

 

 

僕は大きな理由として、長年に渡る身体の性別違和解消の一助として手術を受けました。

普段の生活における行動表現は男性的ですが、「社会的に男性的と言われる性役割・立場を取りたいから」ではない。パンセクシャルで様々な人と付き合ってきましたし、交際のためでもありません。

 

逆にどの職業や娯楽の分野も「男性的・女性的」という固定概念から自由になり、様々な性別の人が参入できるようになればいい、と思っている人間です(もちろん宗教・伝統的な制約のある場合は議論が必要なところでしょうし、数の傾向性は出るでしょう。ただ参入自体には障壁がないことが望ましい、という事です)。

 

そんなわけで、ジェンダーIDとしてはTGやFTMと名乗るがノンバイナリー的な側面も大きい、という風に自身を認識しているお話でした。

 

GI、トランスジェンダーと言っても、シスヘテロの男女がそうであるように、決して一様ではありません。

 

性別違和自体は幼少期からですが、結構歳がいってから手術を受けたタイプだとは思います。

こういった人間は少数派なのかもしれませんが、一当事者の話としてお受け取りいただけたら幸いです。

 

長文をお読みくださり、ありがとうございました。

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